2009年11月28日土曜日

影絵

カンボジアの大型伝統影絵スバエク・トムなるものを見てきました。

感想。とんでもなく良かった。

影絵がこんなに広がりを持った芸になり得るとは知らなかった。
牛革を切り抜いて作った大きな影絵に取っ手がついていて
それを人形遣いが大きなスクリーンに這わせる。
後ろからだけじゃなくてスクリーンの前にも出てくる。
人形遣いの動きはただの黒子じゃない。
あれは舞踊だ!

音楽もパンチが聞いていてビートがどんどん胸に飛び込んでくる。
太鼓のリズムが二拍子系でノリが半端なく良い。そして木琴と、ガムランのような
おわん形の金属がいっぱい並んだ打楽器があって、そのメロディに
絶妙に合っているような合っていないような不思議なチャルメラの音。
こないだ芸大で聞いたミャンマーの音楽にも少し似ていた。
でもミャンマーよりビートが激しくてわかりやすい気がした。

さらに影絵のデザインが面白すぎる。枠があって、そのなかに人物が
描かれてて、背景が花や植物や火や水のデザインで埋め尽くされてて
一瞬どこになにがあるのかわからない。よーーく見てみるとわかってくる。
劇をするなら、よりわかりやすく人物だけを描いて、その人形をずっと使えば
いいのにそうしないのは、あれが叙事詩、詩だからだと思う。
ひとつひとつの影絵が、出来事や人物の存在自体を詩的に表現した作品なのだ。

最初は二人の人物が右と左で話してると思ったら、次は一枚の絵の中に
二人が描かれていたり。その世界観というか空間把握がめちゃめちゃ面白い。

話の内容は古代インド叙事詩の
ラーマーヤナから来ているものだということだけどそっちの世界観を
知らないと全くちんぷんかんぷんで、でも、たとえば日本の神様の
名前を知らなくても神楽を外国人が楽しめる(であろう、一部は。)のと
同じで、とても敬虔な気持ちにさせられる、深い味わいがありました。
でもひとつ無理を承知で言うけれど、やっぱり生の火で見たかった。
生の火のゆらめき、ブレみたいなものが加わるときっともっといいんだろうな。
それはやはり現地に行って見るべきなんでしょうね。
今回は知るきっかけを与えてもらえてよかったと思います。

2009年11月27日金曜日

ばいと

知り合いのお店でバイトはじめました。
社長はいろんな韓国の楽器をやってらっしゃるので
勤務時間の前に行けば教えてもらえる・・・かも!
ソウル行ったら今度こそテピョンソ(チャルメラ)買ってこよ。
やっぱりひとつは吹く楽器やらなくちゃ。
とりあえず来週の木曜はタンソ(リコーダーみたいな竹のたて笛)
持っていこ・・・笑
それより先に仕事まじめに覚えろって話ですが・・・

明日はカンボジアの影絵「スバエク・トム」を見に行きます!!
楽しみ!

2009年11月21日土曜日

日本民俗芸能大会@青年館

明日11月21日は日本青年館(神宮前)において
日本民俗芸能大会が行われます。
今日のリハから潜入調査でした。
今回は、盛岡は乙部の「法領田獅子踊り」が出ます。
乙部は夏に行っていた黒川の隣。
乙部中学校は民俗芸能の授業があって学区の地域ごとに1つか2つ、
合計八つもの演目が練習されているという
オドロキの学校です。うらやましい限り。そのうちのひとつが法領田獅子踊り。
踊りはさんさによく似ていて、円で獅子踊りをやる演目が多いみたい。

今日リハを見ていて面白いなあと思ったのは、
一八(いっぱち、踊りの先導役であり、道化でもあるひょっとこ面の男)の
背にこぶがあるということです。あれは何でなんでしょうと保存会の佐々木さんに
伺ったところ、いっぱちは普通じゃない人間、という意味で背中にザルを
入れて踊るんだ、ということでした。ここでも韓国農楽の雑色(道化役)との
共通点を発見しました。うーむ。面白い。

それから雄獅子の鳴き声をまねして吹く「ササ笛」は
キエーーっという動物的な音が出て面白かった。
毎回作り直すらしい。

明日は9時半から仕込みで、公演は夜の8時まで・・・・。
ノート記録がんばります。

2009年11月9日月曜日

秋深し!プンムルの季節!

所属するチーム、いやホームであるナグネその他いろいろ、
この秋はプンムルの出番が週末ごとに目白押しです。

10月25日の、入魂の高麗神社公演では
ナグネの公演のために、東京でピルボンプンムルをやっているウリト、
小金井で活動してるケグリ、その他、多方面からお手伝いいただき
大成功に終わりました。
これだけの大規模でプンムルたたけるのは東京では高麗神社だけでしょう。

わたしは今回チャプセク(道化)を担当。
道化三人娘(娘であることすらわからないが)は
大好評を得て、韓国からケンガリをたたきにきてくださった
房承煥先生も太鼓判!ばんばん!と押してくださいました。
数日間徹夜で作った衣装、お面。一緒に踊ってくれたGE大の
はるなちゃんも楽しんでくれて、良かった良かった。
何しろ、ニコちゃん(小学校1年生)の踊りが素晴らしかった。笑
交通費分、飲み代を稼ぐために作ったお面のミニチュアのキーホルダーを、
自分もお面かぶって、ニコに手をひかれながら売りさばいて
それなりのこづかいをゲットしました。
もちろんニコにもお駄賃をあげたさ。300円だけど。
よく考えたらあんなに素晴らしい作品を作ったのに(自画自賛)
写真撮るの忘れた。あーーーもったいない。。。。



チャプセク三人衆





高麗神社の入り口に立つチャンスンの前で集合写真!
そういえば、公演中の写真が一枚もない。
ちょっとした動画が、一緒に出てくれたKーsk氏のブログに載ってます。
続・戦争への想像力
そして、高麗神社の翌々日には母校ICUのコリアンナイトで
一発たたいてきました。ファンスオンさんたち、ケグリのメンバーにも
お手伝いいただきました!感謝。


いっつも演奏中の写真がないのよねー。
見に来てくれた人に写真もらわねば。



これは昨日の代々木公園の「アンタルフェスティバル」終了後。
出番のあとはビールにインドカレーでジャズやアフリカンドラムの
ステージを楽しみ、最後には酔った勢いでジャムセッションに突入してしまった。
すごいたのしかったなあー。
お祭りが終わった後、シニア組は本拠地の国分寺へと向かい
(比較的)ジュニア組は公園に残って、外で飲みました。
夜中に公園で飲むなんて、もう2週間遅かったら無理!
岩手だったら今も無理。
やっぱり東京はあったかいんですなあ。
そしてそして、今度の15日(日)は川越の「唐人揃い」にケグリで出ます。
来週22日(日)は野川公園のくじらやまにて、「はらっぱまつり」。
とんで12月6日には府中公園でチマチョゴリ友の会略してチマトモの
フリーマーケットに呼んでいただいて出ます。焼き肉とまっこりが呼んでいる~~~!
去年はそういえばチマトモの前日がサタデーチャンゴフィーバーだったんだな。
大阪・名古屋・東京三都市合同プンムル、楽しかったなあ~。
またやりたい!!

2009年10月21日水曜日

谷中マジック

10月9日金曜
芸大と地元桜木~谷中とでつくるイベント
「ぐるぐるやーみーツァー」のスタッフの打ち合わせのために
谷中を歩いていると、向こうから知っているひとがやってきた。
一緒に民俗舞踊を練習している大先輩の鈴木さんだった。
鈴木さんはなんでそんなところを歩いていたかというと、
ご自身のおどりの公演である「ヤナカヤガイ」を数日前に
控えていたのでその関係と、谷中にあるギャラリー「韋駄天」で
韓国人陶芸家のご友人が個展をやることになってそのオープニング
パーティだとかいうわけであった。なんだか奇遇だ。
しかもそのご友人がやっているのは白磁だということで
ますます面白い。ヤナカヤガイも興味深い。


10日土曜 もと体育の日。
ぐるぐるやーみーツァー本番。
谷中を少しだけ味わうことが出来たような気がする。
とにかく寺が多い。日蓮宗のお坊さんの学校の横で
ライブペインティングをする人のお手伝いをした。
彼女は昼間はポータブルLPプレイヤーでビートルズをかけていたので
のりのりだった。夕方になるとお経がヒートアップしてきて、
ほとんどサムルノリのユクチェの最後の方みたいなかんじだった。
こんどこっそり聞きに行こうとおもう。あれはエクスタシーだ。


夕日が落ちた頃に、各持ち場でアートをやっていた人々がわらわら
ひとつのお寺に集まってきて、創作盆踊りをやった。
ジャズバンドが伴奏するせつない曲だった。
ついさっきまで一緒にライブペインティングをやって撤収していた
かすみちゃんが最後に盆踊りの歌を歌った。よかったなー。


11日日曜
前々日にばったり会った鈴木さんの公演を見に行った。
お寺の境内のお墓で踊った。
あれは完全にクッだった。公演とか演奏じゃなく、儀式だった。
同じ師匠に習っている民俗舞踊が(といっても鈴木さんは大先輩だけど)
どんなふうに彼の踊りに活かされているのだろうかと
楽しみにしていったら、期待を裏切らない面白さだった。
土臭く、人間くさく、そして最後には動物になってしまう。
よかったなー。
この夜のプンムルの練習はいつにも増してノリノリでやれた。


15日
学校の授業をさぼって、
鈴木さんのお友達チェ・ジェホさんの白磁の個展を見に行った。
ギャラリー「韋駄天」は、インサドンのお茶屋さんみたいな落ち着いた雰囲気で
ここでマッコリのんだら最高でしょうね、とジェホさんに行ったら
9日(わたしが鈴木さんにばったり会った日)にみんなでそこでキムチジョンを
作ってマッコリを飲んだそうだ。がーん。誘ってほしかった。
ジェホさんの作品は、なんとも素朴なかんじの温かい白磁だった。
白磁というとピカーッと骨のように冷たい、つるつるした物体というイメージが
強かったけど、ジェホさんのは土の匂いがする白磁だった。
土は、韓国の白磁をつくるものと日本の土とを混ぜてつくるそうだ。
それから木の屑を混ぜたりするらしい。
陶芸は詳しくないので、そういうことはよくあることなのかどうか知らないが、
日本の土と韓国の土を混ぜて作っているということ自体なんだか有りがたいように思えた。
部屋の隅には韓国式の木製家具の上に、白磁で出来た小さな人形が
たくさんならべてあった。なんともかわいらしい。みんな表情が違う。
その人形はお香立てになっていた。「一日一体つくるんです」とジェホさん。
人が人らしく生きられない時代に、一日一体、人形を作っていのちを吹き込む。
いつか何千体も作って並べて展示したいと言っていた。
顔がなんともひょうきんで気に入ったので一体譲っていただいた。
まだもったいなくてお香は立てていないけれど。

広島在住のジェホさんに、今日から韓国文化院というところで
クッの写真展があるのでぜひ見に行くと良いですよ、と宣伝したところ、
ジェホさんはとてもクッに興味があるとのこと。土をこねて、
その人形を一体ずつ作ることもクッと関係があるような気がしていると言っていた。
いつかほんとうに千体ならんだところを見てみたいな。
ジェホさんとまた会う約束をしてギャラリーを出た。

出て数10メートル歩いたところで、むこうからよく知ってるおじさんが
歩いてくる。高校3年のときの担任、社会科のT先生である。

・・・谷中は本当に奇妙な町だ。

T先生は古美術商に掛け軸を売りにきたらしい。
帰りに白磁と、暇があったら韓国文化院の写真展を
ぜひ見ていかれるようにとお勧めして別れる。

後で知ったのだが、この日の夜はじめてお会いすることになる
韓国民俗芸能の大家である慶応大学の野村先生は
谷中のご出身であった。なんと不思議な。

2009年10月15日木曜日

おとなの夏休みの終わり

大人って言ったってわたしまだまだこどもなんですけどね。


夏休みが終わりました。
明日、一週間でわたしが一番大切にしている授業が始まります。
その授業で出された夏休みの宿題が、
まあ、いわば「夏休み日記」なのです。

またの名を「フィールドノート」という。
そう、日記を提出するのです。
だけどその日記は、個人の感情をそのまんま表していて、やっちゃったなあという
失敗の経験、心痛い思い出、せつない恋心、みんなさらけ出すものなのです。
そんなものをそのまま提出できないので自分なりに再構成して出そうと思ったのに
夏休み中、結局整理が出来ずにいました。それを今日深夜12時に帰宅してから
チューハイ飲みながら書いています。間に合うわけないよね。


8月中お世話になったおうちの家族が、気に入って
よく飲んでいたアルコール度8%のストロングチューハイを飲みながら。
夏の終わりに買ったハナレグミのアルバムを聞きながら。


間にあうわけないんだけど、
いまとても充実している気分です。
やっぱり岩手で得たものが多すぎる。
心の痛みよりも何よりも、得た愛が多すぎる。
どうしてどうしてこれを自分のなかだけで終わらすことができようか。
やっぱりこんなことを教えてもらってきたんだよと、他の遠いところで
駆け回ってきたフィールドワーカーたちと分け合うべきなんだと思う・・・
そのためにも書きます。書ききれなくても一文字でも多く書こう!



つまみ=たこわさ、おばあちゃんが作った葉とうがらし煮物、

近所の知り合いの京土産の漬物。。

2009年10月14日水曜日

高麗神社シウォレマダンへのご招待

韓国留学から帰ってきてから早3回目の高麗神社
シウォレマダン(埼玉県民団の行事で「十月のまつり」の意味)公演が
あと2週間後にせまってきた。

参加1回目の2007年。
この年はすごく晴れてた。
まだ自分がナグネ・シナブロというチームに所属してる感が
あんまりなく、とにかくこの人たちがやってる方式に
くっついていくぞというかんじでチャンゴを無我夢中に叩く。
ナグネがやってる右道プンムルは、やたら難しい。
コチャンのほうが断然簡単だ。おいらはいまも、もうちょっと
体の動きを単純にしたらいいのに、と思ってるが、
まあおいおいそれは考え直していったら良いんだと思う。
韓国で自分がやってきた方式とはだいぶ違うなかで
チャンゴはうまく叩けた自信はないが、
日本でもこんなプンムルができるんだなあ、とこれからの
東京でのプンムル生活に期待を抱いていた。

昨年2008年は、1年間の練習、いやむしろ飲み会で得た
人間関係を最大限活かして、「つながり」を意識した公演だった。
ピルボン農楽を叩く「ウリト」の人たちも誘った。
長年プンムルをやっているナグネの人脈は広い。
そして当日サンスェ(農楽のリーダー)をやってくれる房先生の
魅力もあるのだろう。
気づけば40人を超す大規模なプンムルの輪が出来ていた。
この年は、ホームベースのナグネ・シナブロの方々とも
コチャンソゴチュムの練習などなどを通じてだいぶ
つながった感じだった。当日、房先生のサンスェのもと
やったソゴチュムは、こどもたちもまじえて、
かわいらし~(自分でいうのも変だな)イメージのソゴチュムになった。

11月もサタチャンで三都市大集合プンムルをやって、めちゃくちゃ楽しかった。
大阪(みのおチャンゴヨロガヂ)、名古屋(ノリパン、センメッチュ)、
東京(ナグネ、ウリト、その他いろいろ)が合体してやったプンムルは
なんとも、韓国のノリを思い出させる記憶に残るクッだった。
誰かが強力にリードしているわけでもないのに、誰もが入っていきたくなっちゃう
ようなプンムルだった。東京のひとたちだけであれができないものだろうか。
考えて見ればあの時はチャプセク(道化役)をやるんで昼からマッコリを浴びるように
飲んでいたら打ち上げのときにはすでにかなり出来上がっていて、池袋で終電を逃したんだった。
汚い格好のまま、汗だくの衣装を抱えて翌日は府中公園での公演だった。
もちろんその日も昼から焼肉で、マッコリ。。。
あの二日間は濃かったなあ。

で今年。

2009年高麗神社の個人的な目標。
去年のカワイラシーソゴチュムとはちと趣向を変えて、
もっと泥臭いものをやろうと思っています。
紙張子でお面を製作中です。
チャプセク(道化、踊り、雑用係)を研究するあたくしとしては、
自分でもやりながらこれを極めたいと思い
今年はなんとしてもチャンゴを叩かずにこれをやりたいと
皆の反対を押し切って(チャンゴ隊の人数が少ないので出来れば
やってほしいという空気を読まないで)
チャプセク「で」いい、ではなくチャプセク「が」いい、という希望で
やらせていただくことになりやんした。

やや使い古されている気がしてならないけれど、
韓国朝鮮の「恨(ハン)」という概念があり、
やっぱりそれを表現できるのは韓国の音楽であり舞踊でありクッである
のだなあと思うのであります。とくにタルチュム(仮面舞踊、演劇)は
面という別の人格を得ることによって、素面では語れない強い感情を
最大限発散できるのではないかと思うのです。
そのためには納得のいく面を作らねばならず、そして何を伝えたいのか
綿密に考える必要があるのです。
かわいくなくていい、きたなくていい、でも伝えたかったことが伝わる
ようにはしたい。

演じ手が、その想いを伝えたい相手というのはその場にきていなくてもよくて、
演じ手とその相手の関係が、見ている人の自己に投影されて、
ああ、自分にもそういうところがあるなあと共感してもらえるようにする・・・・
演劇とか舞踊とかってそういうものなのかなとおぼろげながら感じています。

とまあだんだんわけがわからなくなってきたところで
そろそろ学校にいかなきゃいけないのでやめます。

あいかわらずいろんなことに手を出しまくっているわたしですが、
秋は本格的に韓国朝鮮・農・舞・演じる・祈る・・・・という方向に集約して
いけたらなあと考えています。

今週末(木~土)は、済州島からシンバン(シャーマン)が
やってきます。韓国文化院で民俗写真家である故・金秀男の展覧会があり
そのオープニングにあわせて5人のシンバンによる
クッ(故人の霊魂を呼び、遊ばせ、そして安らかに眠れるよう送る儀式)が
行われます。オープニングパーティ~儀式~シンポジウムまで
三日間みっちり参加してこようと思ってます。
金秀男のぶあつ~い写真集「クッ」も持ってたりするぐらいファンなので
展覧会も楽しみ。やっぱクッを撮るなら白黒だよなあ~。
鼻息荒くなります。ふんふん。

2009年10月10日土曜日

ふっかつっ

イヤー参った。
パソコンが二台とも壊れ、
ついに家でインターネットが出来なくなってしまった。
それもあり、いろいろ思うところがあってブログを
いったん閉じていましたがやっぱり書きたいことがいろいろ
あるので復活しました。これは父のミニノートパソコンから。
キーボード打ちにくい・・・うっうっ

夏休みが、とうとう、とうとうとうとう終わろうとしています。
長すぎやねん。ほんま。ゲー大。
人生で一番長くて、パンチのきいた、でも伸び伸びした夏休みだったと思います。
でももういいやとも思っている。早く学校始まっちゃえ。

7月終わりに家を出て、早池峰に登ったり8月は盛岡の黒川で
さんさ踊りをずっと見させていただきながら居候でさんざんご迷惑をかけ;;
他では絶対に得られない貴重な日々をすごさせていただきました。

9月もあっという間に終わったけど、振り返ればいろいろあった。
まず東京帰ってすぐに芸祭。帰ってきていきなりだったけれど
キューバ・アフリカドラムサークル「おちゅん」に入って
一緒にヨルバ語で歌いまくり踊りまくり、ハバナクラブ(ラム酒)飲んで
突然暗いことを言い始めて友人を悲しませたり、しかしはちゃめちゃに楽しい芸祭でした。
おちゅんの仲間はこれからもいろいろ一緒にやっていけそうで
ほんとに楽しみ。すばらしい仲間ができました。

んで、その後はプンムル方面でも新しい仲間が出来て
楽しくやっております。そのツテで、ずっとやってみたかった
ちんどん太鼓までやらせていただくチャンスがあったりして・・・
やりたいこと・できることをシェアできる仲間が
いるっていうのは本当に幸せなことなんだなあ。

そして今日は、スペシャルな再会がありました。
去年2008年の春に結成したICU三線会。
最初同じ学年の三人ではじめたものが、
エゲレス留学・専門学校進学・プー(ME)など三人の
進路がわかれたことによりだんだんばらけていき、
途中から入ってきてとても熱心にやってくれてたひとつ下の
学年のすばらしき仲間も、今年の夏にとうとうアメリカに留学してしまい
あれあれ、どうなることやらと言っていたところ、イギリスに留学していた
オリジナルメンバーの友人が今日帰ってきたのでした!!
うーん、ひさびさに一緒に歌うとなんとも感慨深い。
三線会もこれでまた盛り上がってきそうです。

10月ももう10日過ぎてしまいました。

今月は本当に死ぬほどカルチャー満載で大変です。
「飲めや歌えや踊れや」が研究対象(ということになっている)だと
いろいろ誤解も受けます。
ただ遊んでいるだけなのではないか。とか。
結局パッパラパーではないか。とか。

・・・あ、誤解じゃないか。

でも、今年の夏いろいろ大切な気づきがありました。
それはやっぱり着地点を見定めなきゃならないんだということです。
歌って踊って騒いで、見つけたものがたくさんあるはずなのに
そこから見つけたものを取り出して書いたり表現したりすることを
しなければ、やはりただのパッパラパーに違いないのです。
だからブログ再開しました。

新学期こそ、この忙しい文化の秋だからこそ
自分の方向性を見定めながら飛び石を渡るように
軽やかなステップですごしていきたいと思います。

センチメンタルになっている暇などないのだ。。。

2009年8月14日金曜日

おぼんです

ども。まったりしすぎてもはやフィールドワークなんかでは全くなくなっています。
神楽のことを書く前にさんさの時期になってしまいました。
早池峰についての雑感はちょっと保留してあとで書くことにします。

現在、盛岡の黒川という地区に滞在中です。
黒川さんさ踊りをやっていらっしゃるK田さん宅に
長期でステイさせていただいています。感謝。
今日はお盆入りの迎え火ということで、K田さんちでもお墓参りをしました。
今日のわたしのミッションは仏花を切りそろえることとお供物のための料理。
天ぷらを1時間以上揚げ続けました。最後のかき揚げを揚げ終えた瞬間は、
得体の知れない達成感で満たされていました。笑

うちは父が民俗学者のわりには自分の家の行事はあまり重視していないので、
いままでこうやって先祖を迎えるために提灯を吊るしたり
お母さんがあくせくと料理を作ったりお花を買ってきたりしたことがないので
とても新鮮だった。家の敷地内にもお墓があるので、私もお参りしておきました。
ご先祖様も赤の他人がお盆にやってきて天ぷらを揚げているとは
思ってもみないだろう。。。。笑

明日は盛岡市内の鉈屋町という古い町屋敷の通りで
黒川さんさによる門づけ行事があります。
門づけというのは一軒一軒家を回って庭で踊りや歌などを披露して、
その家の繁栄を願ってあげるかわりにお金やお米などをもらうという行為のこと。
プンムルの「乞粒(コルリプ)」や「埋鬼(メグィ)」に通じるところが多くて
本当に面白い。

太鼓を体に縛り付けて踊る点や、輪踊りが基本である点。
さんさは構成が太鼓・笛・手踊り・道化となっていて、その人数や
順序が入念に会議して決められている点。
そして装束にも共通点が多い。
色とりどりの腰帯をひらひらさせること、花笠をかぶること、わらじをはくことなど。
音楽的に見ると、さんさとプンムルに直接的な関係は全くないのだが、
やはりおなじようにコメを食べ、農業をしているひとたちの芸能というのは極めて近い。
その息遣いや腰の落とし方、踊りに対する姿勢自体がやっぱり
その地に根付いたものであることを感じさせる。
場所も中身も全く違う芸能を比較することに意味はないと
思われるかもしれないが、これだけ近いと感じるこのふたつの踊りを見て
「同じだ!」とうれしくならずにはいられない。

この間の花火大会の公演のときに見たもの。
はじまるまえに親衛隊のお母さんたちや家族が
みんなの帯をしめなおしてあげたり、
太鼓のひもをぎゅっときつく引っ張ってあげていて、
あまりに見慣れたその光景に一瞬目を疑った。
踊り自体だけでなくて、こういう準備の瞬間もプンムルを
やる人にぜひ見せてあげたいなあと思う。

門づけ行事は最近復活されたものだけれど、
昔からのさんさの役割、文脈というものを一番よく意識した行事なので、
明日は本当に楽しみです。

2009年8月7日金曜日

遅すぎる第一回報告 早池峰の夏①

書こう書こうと思いながらなかなかブログがかけずにいたが
今日はステイ先の家族のみなさんが休肝日ということで早めに
おやすみになったので、一人で今日までのことを色々振り返ろうと思う。

7月29日 東京発(高速バス)
30日 盛岡着→石鳥谷→大迫→岳(和泉坊泊)
31日 早池峰登山→早池峰神社例大祭宵宮(神社泊)
8月1日 例大祭→花巻→花巻南温泉郷(大沢温泉自炊部泊)
2日 花巻→北上みちのく芸能まつり(鹿踊、パレード鑑賞)
→矢幅→黒川(黒川さんさの北田家泊)
3日 草刈りなど
4日 盛岡さんさ踊り 黒川さんさ密着鑑賞→北田家でお母さんの誕生パーティ
5日 草刈りなど
6日 写真整理など
7日 産直品だし、りんごジュースラベル製作、ももの収穫、りんごの出荷準備など



まんず、ハヤズネさんの話から・・・。

7月29日に東京駅からJR高速バスに乗って盛岡へ。
ゼミのレポートを出し損ねたことが気がかりになりながら出発。
代理提出Tちゃんありがとう・・・・

31日朝 盛岡着。
大通りのネットカフェに走りこんでレポートを書き、
しばらく駅で寝たあと電車で石鳥谷へ移動。石鳥谷から大迫までバス。
早池峰神社に向かうためだ。しかし、早池峰はガチで田舎であるため
車(もしくは車にのせてくださる方)が絶対的に必要である。
今回も非常にお世話になった地元の藤原さん(ワインぶどう農家さん)に
大迫のバス停から電話して迎えに来ていただく。
大迫にも賢治の記念館があるのでそこを見学して、
山岳博物館にも行った。ここの前館長、一ノ倉さんは藤原さんの高校の同級生で、
神楽に興味を持って、山も登りたくて来たと言ったら
とても丁寧に山や地形と神楽の関係などについて教えてくださった。
翌日、早池峰に登るのにあたってとても素晴らしい予習になった。

藤原さんに送っていただいて、早池峰神社のある岳部落に到着。
本当に山奥で、携帯の電波も届かない。
明日の登山の集合連絡どうすんだ・・・と思いながら、
ひとまず宿泊先の宿坊、和泉坊へ。笑顔のおばちゃんが迎えてくれる。
荷物を置いて、岳の部落を散歩。夕日がちょうど山の向こうに落ちて部落全体が
もうすぐ闇に包まれる、その直前の静かであったかい風景が広がっていた。
隣の家の縁側には鳥兜(神楽を舞うときのかぶり物)が干してあった。

夜行バス明けでそのまま歩きまわった体はやはり正直で、
夕飯を頂きながらほとんど半分瞼が下がってきて、
「睡魔に襲われる」っていうのはこれだなーと思いながらバッタリと倒れる。

しばらくして起きて、おばちゃんと天気の話などをしながらテレビを(ずうずうしくも)
一緒に見ていると、神楽衆であるおばちゃんの息子さん、まもるさんが帰られる。
神楽衆のかたに話を聞くことは、期待はしてたけど半ばあきらめていたので
本当にうれしかった。

ここ最近のアイスブレーキングにぴったりな話題はやはり、「花巻東」。
春の甲子園で準優勝という快挙をなしとげた花巻東高校が
夏もまた出場決定したので、だいたいなんでも花巻東の話が
出るとみんな黙ってないのでありがたく活用している笑
もちろん、私も応援しています。

高校野球の話でひとしきり盛り上がったあと、
岳の昔からの暮らしぶりの変化、神楽衆の現状、
大償神楽との確執、海外公演の話など飾らない言葉でいろいろ聞けて面白かった。
芸能勉強するって、何を学ぶの?という耳の痛い質問も受けたりして
考えさせられることも多かった。

部屋に入って一瞬で眠りにつき、朝は恥ずかしくもおばちゃんの
モーニングコールで目覚める。

8月1日

障子を開けて外を見れば、雨の心配などはどこかへふっとぶほど
超快晴であった。こりゃ最高の登山日和だ。
8時半すぎにほかのメンバーも岳に到着した。
今回の旅の大きな目的のひとつがハヤチネサンに登ることだったので
前日神社にお参りしておいたのだ。どーか、神楽を見る前に山に
登らせて下さい!と。願いはかなった。

9時40分に小田越に車で到着(また藤原さんに送ってもらう)。
小田越からの道は「オンナ道」、反対側の河原坊からの道は「オトコ道」
といわれて、幾分前者のほうが楽だということで、小田越から登って
同じ道を下るというコースをとることにした。
割とハイスピードで登って、途中苦しくなることも特になく11時チョイすぎに
は山頂に着。途中、
ハヤチネウスユキソウ(日本でここしか見られない和製エーデルワイス!)も
ちらほら見られたし、他にもたっくさんの高山植物がありました。
今度はもっと早い時期に来て花をいっぱい見たいものです。

それにしても、ガレ場(岩場)からの山並みがサイッコウだった。
ヤッホーとかヒャッホウとかウオーとかギャーとか、
叫びたくなるぐらい最高な気分だった。
青い山脈ってこれのことか!という。山は夏は青いんだ、本当に。

下山して小田越14時チョイ過ぎ着。早かった。

急いで神社へ向かい、神楽見物の準備・・・のはずが、
ワインを手に入れてしまったのでまんず一杯・・・・。
一杯のはずが二杯・・・二杯のはずが。。。というわけで
前座の弟子神楽はほとんど見れずに、ほろ酔いで岳神楽見物に
突入。岳は太鼓のリズムが本当に鋭い。
ストレートな体育会系である。

さて、、、本題の神楽に入ったところだが眠くなってきたのでまた明日。
明日は盛岡花火の祭典!にて黒川さんさが公演!(よりもメインはそのあとの
花火+ビールだったりして。楽しみです。)

2009年7月21日火曜日

準備

岩手の旅の準備に忙しい忙しいとは口で言っているものの
何に忙しいかって飲むのに忙しかったりして、なんだかな。
行く前に本をいっぱい読もうと思っています。
今日は前からの課題のひとつである韓国の藁人形「ホジェビ」
についての論文の全訳を一生懸命進めた。民俗系の論文は
単語が難しかったり、方言が出てきちゃったりしてなかなか手強い。
いま読んでいるのは、李柱承という人が修士のときに書いた論文。
彼はホジェビをその処理過程で分類して、
①捨てられる型②燃やされる型③水によって送られる型とした。
①は主に土地の神と同化している場合で、土地神さまが村の
悪いものを全部負って村から出て行ってくれるというもの。
②は、人形自体が雑鬼であると考えられている場合で、容赦なく燃やして
その厄を祓う。
③は、海の神さまなどに悪いものを届けてくれる船乗りとして、
船に乗せて送るというもの。

一見みんなおんなじように厄払いのためにあるように見える藁人形も
それぞれ少しずつ異なる役割を持っているということを教えてくれる。
突っ込みどころはあるけれど、修士論文としてはかなり良い論文だなあと
思う。私もここまで整理できた論文が書けるんだろうか?
(その前にテーマを絞れっていう話だけど。)

岩手で虫送りの藁人形をみることができたらとても勉強になるだろうなあ。

しかしそれにしても、
たまたまグーグルで岩手・芸能で調べたらこのいい加減なブログが
出てしまうということに気づき、大変な過ちを犯している気分です。
もっと勉強します・・・・;;;

2009年7月15日水曜日

Spiritual Iwate3  神楽の見方編(改訂)

今回はじめて本格的に朝9時から夜10時までという
長丁場の神楽を見た。5,6時間ならともかく10時間を
越すと人間というもの集中力が物理的に持たない。
ビデオ回し、写真も撮り、ノートもとる。なかなか体力勝負だ。

今回神楽を見ていて思ったのが、
一体何をノートにとるのか?という点。
ご一緒させていただいた大先生がたはバリバリガリガリとノートを
書いていたけれど一体何をメモしていらっしゃるのだろう。
全員のノートを比較して知りたい。

奉納はじまって2~3時間目ぐらいの、やる気満々だった時のノート↓



※よく見たら千早(着物の種類)が千草になってる;;;;
しかも大乗神楽では千早のことは浄衣というらしい、と後で知る。

演目名、
人数、道具、衣装、伴奏形態、歌や舎文の内容、
何の神についての舞なのか、という基本的なことにはじまり
立ち位置やフォーメーションの要素(向かいあって、円になってなど)
動きの要素(扇の要を持って前後に振りかざす、印を結ぶ、飛び跳ねる、などなど・・・)
こういったものを言葉や図で書き表すのは大変難しい。
試行錯誤しながら三次元の動きを図にする方法を考えています。

更に音的な要素を言葉にするのは至難の業・・・。

Writing about music is like dancing about architecture.
(音楽について文を書くことは、建築について踊るのと同じような事だ)

とは誰の言葉だか忘れたけど(調べたら、コステロでした。)本当に名言だと思う。
もっとも、この世の中には建築について踊れる人もいるとは思うけど(特に白州とかに。)
一体音について書くことの意味ってなんなのか。。。。
「リズムが全体的にギュッと詰まってる」とか「ユルい」とか「不思議なリズム」
なんていう記述は許されなくて、じゃあどうすんの?
というときに五線譜を持ってきて採譜・・・・なんてことになると私はもうお手上げ。
五線譜ではなく、抽象的な形容詞でもなく、他に音を記録する方法を自分で
考えていかなければならない。本当に、Dancing about architectureだなあ。

※舞や音についての記述に関してアドバイスがあれば気兼ねなくコメントお願いします;;;

Spritual Iwate2 意気込み編

「幸せいづる国、いわて」というのが今年のJRの岩手観光PRの
宣伝文句。早池峰や遠野に行った人がよく、座敷わらしがついて
帰ってきたとか、河童を見てから良いことが起こるようになったとか
色々あるけれど、そんなスピリチュアルなイメージの尽きない岩手。
乾いた都会の空気に疲れた現代人はそういったものに惹かれてしまう
ものなのかもしれない。

今回のメインは北上・村崎野で行われた「大乗神楽」の奉納。
大乗神楽は神楽好きのなかでもまだまだレアな存在らしく、資料も
多くないのでせめてもと教育委員会から出ている古い本をコピーして
それを片手に行った。よく予習もしないままに見たのだが、
とても面白かった。とにかく宗教色(仏教色)の濃い神楽で、
不思議な魅力を持っている。うおー、山伏!修験道!という感じ。
地元研究チームの方々、神楽を継承している
方々の努力によって色々な演目を復活させたり変化させながら守っている
様子が伺えた。歴史あるものを保存することの難しさたるや・・・。

大乗神楽に合わせて行ったけれど、
今回の実の目的は8月の調査の下準備でもあった。
地元の研究者の方々や芸能ファンの方々とお話すること、それから
大迫と黒川にも立ち寄って地元の空気を感じることで
なんだか一気にまた岩手が近くなった感じがする。
メールや電話や、本や映像で知るよりもそこへ行って会って話すことが
どれだけ重要か!と再認識。

一応なりとも学問の世界に席を置いていると、
学問が職業であり、つまり義務でも張り切って研究しなきゃならないので、
他の研究者は情報源であって同志であってライバルでもあるわけで。
が、私はどこそこの大学の大先生からアマチュアの郷土芸能ファン、
おっかけの人までがやはり、その人なりの愛があって芸能を追っているので
人としてお付き合いしたいなあと思うのであります。
チャンスがあればお酒でも飲み交わしながら、一緒にご飯を食べたりして
お互いの興味について語り合う。そうやってしか芸能は学べないと
確信している。

しかし目下の最大の問題は、酒の場で話した内容をどうやって記憶(記録)
するかという点。きれいすっぱり忘れてしまうので録音でも
したほうがいいのか?とか酒飲みながらもやっぱりノートはとるべき
なのか?そうすることで100パーセント酒の席の雰囲気を
楽しめないのではないか?というジレンマにたたされている。
あるいは、酒量をコントロールする?
(たいして飲んで無くても忘れるので)それは論外・・・。

それはそうと、
最終日の昨日、盛岡市内で神楽を見ていたときに
スピリチュアル体験をした。というか結構ショックな出来事。
神社の神楽殿の前で奉納が始まるのを待っていると、
私の横にあった棒杭に一匹のクモが歩いている。
よく見ると、背中が人面である。
人面というより、鬼の形相。

キターーーーと思い、カメラを向けて接写しようとすると
なぜか接写に強いはずのNikon クールピクス氏、ピントが
全然合わない。クモは威嚇して触手を振り上げている。
逃げる前に早く撮らなきゃ、と思って一度電源を切ろうとしたら
なんとフリーズ。画面はレンズエラーということで、全く
動かない。レンズが出っ放しの状態で死んでしまいました。
恐るべし、神社のクモの霊力!!!!

深夜に自宅に帰ってきてから図鑑を開いたが、
まだ同定できていない。一体何グモだったんだろう・・・・。
それもだが、カメラの修理代が馬鹿にならない。
その修理代で予備バッテリーやDVテープが買えたのに・・・
二度と出すぎた真似はするまい、と心に決めたのであった。

Spritual Iwate1 写真編

わたしが一番好きな花、タチアオイ。
盛岡にももうすぐ夏本番がやってきます。




八幡平の焼走り(岩手山の溶岩が噴火して流れた跡)に
たまたま連れて行ってもらった。八幡平の野球場で
甲子園の予戦があったので観戦に。
去年の花巻東の活躍もあって岩手は高校野球盛り上がってるみたい。








大迫の藤原さんのお宅のぶどう(リースリングというワイン種)





伊勢の大乗神楽





悠々と流れる北上川



鬼の館。面白かった。またじっくり見に行きたい!



黒川の北田家のりんご!
こんなに小さいのにもう色づいてます!

夏の黒川!もいいですね!
今夏は田んぼ・畑の草刈手伝わせていただきます!!!

2009年7月9日木曜日

そういえばシタール

シタールの授業の時に撮った写真があったのでアップします


熱心に、ウルトラハイスピードで教えてくださるネパール人のスシュマ先生と
たまにタブラをたたきにきてくれるバングラディッシュからの留学生のラーマンさん。
この日はラーマンさんがサービスでベンガル語の歌を披露してくださった。


↓それなりに頑張っているが、手がやっぱりついてかない!!!


8月39日にスシュマ先生のコンサートが上野文化会館であります。
またインフォメーション流します。

岩手仕様!

白州からブログがストップしていました・・・。
ダンス白州楽しかった。
いつか、あの田んぼで私もチャンゴ叩きたい!な。

さて突如浮気をしたかのようにブログを岩手仕様にしてみました。
帰ってきたら今度は沖縄仕様にするかもしれません。笑
8月は東北!です。冬の韓国ばりにハードスケジュールを考えています。
神楽にさんさに、鹿踊り、剣舞、田植え踊りに虫送り。
そして秋田竿灯、青森ねぶた・・・(まで行けるか?!)
たくさんの暖かい出会いがありますように。

まずは今週末からミニスタート。
北上で大乗神楽なるものを見てきます!
金曜は高速バスに乗るまでゼミの打ち上げ、
帰ってくるその日はサムルノリ組の打ち上げ。
モンゴル料理にはじまって、韓国焼き肉に終わる岩手の小調査に行ってきます。

2009年6月12日金曜日

日韓演劇交流

いま池袋のあうるすぽっとで
日韓演劇フェスティバルというのをやってます。
http://www.owlspot.jp/performance/090601.html

知り合いに誘われて「ちゃんぽん」というお芝居の稽古を二度ほど
見させていただきました。光州5.18事件についての劇でした。
全体的には軽いコメディのタッチでかかれていて、だんだんと
ことが深刻になって最後はおどろおどろしいシーンを再現していました。
個人的には、単に大事な人を失った悲しみのドラマ、ということだけじゃなくて
今も消える事の無いリアルな「恨」を表現して欲しい気持ちはありましたが、
あの韓国で80年代にこんなめちゃくちゃなことがあったというのことを知らない人が、
それを知るきっかけになるとも思いました。芝居自体もとても参考になりました。
やっぱり本当に芝居をやってる俳優さんたちは何もかも違う・・・!すごいっす。
面白く見させていただきながらも、わたしだったらこう作る!なんて
非常におこがましいことを色々考えていました。今後の参考にします。

それから、10日は韓国の民俗演劇研究、とくに男社堂(放浪芸人集団)の研究の
草分けでいらっしゃる沈雨晟(シム・ウソン)先生の一人芝居がプーク人形劇場であった。
家族三人で行きました(うちは父が民俗学、母が人形劇、わたしが韓国文化に
それぞれ興味があったのでまさに三人の最大公約数的な公演でした)。

劇の題名は「アリランアリランアラリヨ、4.3の峠を越えていく」。
4.3とはこれまた一言で語るには本当に辛い話ですが、
済州島で起きた社会主義運動者を含む市民大虐殺の悲惨な歴史的事件です。
沈先生は半島各地のシャーマンたちの儀式につかわれるヒトガタや藁人形などを
記録して集め、それを使って御自身の創作的な一人芝居を作っています。
まさに人形を「生かす」というかんじ。昔からそのスタイルで公演をされています。
先生とは、今年の三月に済州島でお会いしたばかりだったので日本でまた
再会できて感慨深かった・・・。今回はお連れ合いで人形作家の金美鈴先生とも
色々お話ができて、しかも「うちに来れば人形のつくり方もみんな教えてあげるよ」
なんておっしゃってくださったので近いうちに弟子入りしに済州に行こうと考え中。

ティップリ(うちあげ)で色々な方と話していたら
なんと明日から行く白州のスタッフの方が・・・・!!
世界せまいよ~~~~笑

ちょうど10日の朝に全州の金イクドゥ先生(民俗劇研究家)から国際電話が
かかってきたりもしました。最近はめっきり演劇に興味が傾いています。
いつか作るんだ、頭にがつんとくる音と、身体表現と、ことばが満載の、
見てる人たちが座ってられないようなパフォーマンスを。
いつになるかはわかりませんが。

では明日から白州へイッテキマス。

2009年6月8日月曜日

白州!

田中泯さんとその仲間たちがやっているダンス白州というイベントに
スタッフで参加することになりました。
本番のまえに一度是非!ということで、日曜に白州まで行って
会場になる身体気象農場やイベントの舞台や周辺の地域を見て今日帰ってきました。
この二日間晴天だったので気持ちよくて最高だった~。
鶏のえさやりと卵の回収などをやらせていただきました笑
鳥にとび蹴りされたりつつかれたりしないかとびくびくものだったけど面白かった・・・!
何がなんだか何もわからないまま始まったけど、なんかすごい予感がしている。。。

2009年6月6日土曜日

キューバウィークを終えて

今週は完全にアフロ・キューバウイークでした。
昨日のゼミ発表のテーマが、キューバにおけるアフリカ起源の宗教音楽
がキューバ革命政府に弾圧された歴史だったので。

まったく慣れないキューバ音楽の本や音源を
いろいろ聞いたり読んだりして、どうにかこうにか終了しました。。。
おかげでほんの少しだけキューバに詳しくなったような気分。
ゼミ発表が終わった30分後には、
どっぷりキューバに漬かった数日間を遥かかなたにふっとばすような
シタールの猛レッスンをこなせばならず、しかも夕方は日韓演劇フェス
のイベントのひとつである「ちゃんぽん」という演劇の舞台稽古を拝見させていただく。
一日のうちに地球ほぼ一周しました。笑

今日はICUに来て日本の踊りの練習(寝坊して最後の30分だけ参加)をして、
汗をがっつりながして図書館でお勉強中です。
最近は、父の手伝いで韓国のワラ人形文化について調べています。
民俗系は特殊なことばが多くてなかなかすすまない・・・・。

唐突ですが「ダンス白州」というイベントのため、明日と来週末は白州に行く予定。
別に忙しいのを自慢したいわけではないのですが
こんなことを書いておかないと自分が何をやってるのかだんだんワケが
わからなくなってくるので(既にカオス状態だけど)すべてのことが
何かひとつの結論、終着点に向かっていることを意識するために書きます。
「地に足がついていない」とはうまい比喩表現だといつも思います。
実際物理的にわたしは地に足がついてないかんじですが、
かならずすべてのことがどこかでつながっていると信じたいです。
ま、楽しいのが大前提で、だいたいのことは後からこじつければよいのですが。はっはっは。

さてワラ人形に戻るとしますか。

2009年6月1日月曜日

大國魂神社公演

今日は府中の大國魂神社で、死ぬほど雨の降る中
わたしが通っている舞スタジオの公演があった。
神楽、各地の伝統芸能を雨の神楽殿でご披露。
どしゃぶりなのに見てくださってたお客さんたちには
ほんとうに感謝しつつもびっくりでした。やっぱ舞と音の力かなあ。
来年は絶対、神楽殿で舞うのだ!それまで鍛錬!

2009年5月26日火曜日

わが故郷

ウリ故郷から本が届いた。

5月初頭にコチャン農楽の本が出たのだ。
冬のあいだ原稿段階からちらちら見てはいたが、
やっぱり印刷されて本になってやってくると感慨もひとしお・・・

って私が原稿書いたわけじゃないけどね。
本作りに苦労してた先生たちを間近で見ていたので
なんだか愛着がわきます。



ほぼオールカラー印刷で色々図解されています。
なかなか充実している。
今後日本にコチャン農楽を紹介するときのために
翻訳作業もぼちぼちやっていくつもりではあります。
ま、ぼちぼち、ね。

さて、スズキサンシリーズですが
とうとう完成形になりました。
といってもやはり元のモノを知っている人口が
あまりに少ないので感動してもらえない悲しさが
ありますが大いに自己満足です。
ひとつはこないだお世話になった大迫の方にすぐ送ろうと
思っています。携帯につけるとすぐとれそうだから
観賞用で、って言わなきゃな。

2009年5月24日日曜日

トラジト~ラジ~

今日はひさしぶりに国分寺ナグネ・シナブロの練習に出た。
いまいっしょに勉強している韓国人留学生の子がパンソリ専攻なので
プンムルサークルで歌を教えてもらおうと思って連れて行った。
わりと大成功・・・だったと思います。企画者のわたし自身もたのしかった。
民謡のトラジと、チンドアリランを習った。いま完全にあたまのなかがトラジトラジ。
今後は全羅道農楽の行事でよく歌われる「ソンジュプリ」や
「農夫歌(ノンブガ)」を習って、そしてゆくゆくは短歌の「四節歌」や
パンソリ春香歌の「サラン歌」「離別歌」、興甫歌なども習いたいなあと欲を出している。
彼女は少なくとも二年は日本にいるのでそのあいだ根気づよく
お付き合いいただければ、のはなしですが・・・。

東京は雨。明日は晴れるのかな。
明日も大学でチャンゴ練習するぞ・・・。

2009年5月23日土曜日

今週一週間 自分用記録

月曜日

サムルノリ練習がはじまる。
結構みんな勘がよくて、フィモリとトンサルプリは簡単にマスター。
次回はチャジンモリに入れると思う。サムルはウッタリをやることに
なりそうなので、どこかでコソ練しなきゃいかんな。
授業終わった後、防音の部屋でひとりソルチャング練習をバカスカやった。
その後、弁当を食べながらぼーっとしてたら電話がかかってきて
友達が新大久保で韓国人の子と言語交換やってるっていうので
邪魔しにいくことにした。若い二人が一生懸命お互いのことばで
しゃべってるの見て初心にかえった。ガストに3時間もいたのも
ひさしぶりのことだった。




火曜日

朝は学部の授業。最近なぜか火曜の朝におなかがおかしいことが多い。
冷や汗をたらしながら聞いた。体調整えなければ・・・・。
院生室でお弁当を食べていたら、留学生の人が発表の準備をしていて
日本語の直しに困っていたので手伝い始めたらやけにヒートアップしてしまい
結局3時半までつきあった。急いで演劇論の授業のために体育館に走る。
この日は俳優やダンサーになる人が受ける最初の基礎訓練を味見した。
演劇の先生の言葉は、ふだん舞のお稽古のときに聞いている師匠の言葉と
全く同じで、びっくりさせられた。

●俳優やダンサーになる人は自分の体や声の癖をよく知らなければならない
●そのためにはまず体の中心線を知ることだ
●中心線を意識するとき一番重要な部位は腰だ
●かかとをつけたままもっとも背を伸ばした時の位置と、もっとも腰を落とした位置
を覚えておく事が大事だ
(かかとをつけたまま一番低い位置に腰を落とすには、足首の柔らかさが必要)
●癖を理解するのに最も簡単な方法はウォーキングフォームを見ること
●体の動きに最も癖が出る部分は、体の重心の移動
●癖を知ったら、今度はそれをコントロールすることを考える
●一朝一夕にはコントロールできるようにならない

これが感動的に日本の舞を習う時と同じことなので、
演劇のトレーニングに対して突如興味が芽生え始めた。
自分の師匠だけが経験から体得した事実だと思っていたら、
どうやら舞の世界の専売特許ではなかったらしい。
おそるべし、演劇界!

夜は三線だった。どうやら最近ICUに沖縄県人会が発足したらしいので
ぜひジョイントしたいと思っている。来週はワークショップやるぞ。




水曜日

劇場技術論の授業。舞台衣装の第一線で活躍されている
前田文子さんのお話を聞く。気取らない素敵な方だった。
大先生に弟子入りしたときの話がとてもとても面白かった。
先生の家事ばかりを手伝わされて7,8年もかかった、
30過ぎても一人前になれない、というのはすごい。
(まあ学者は40過ぎても一人前になれないのだが・・・)
師匠について修行というのは、いままでのデザイナーのイメージと違う。
雑巾がけや庭仕事や食事の用意をするなかにも
衣装デザインの要素がつまっているという信念で8年も耐えたからこそ
今の活躍があるのだなあ。わたしにもそういう根性あるかしら。

図書館に資料請求していた早池峰神楽の研究書が届く。
うはうはしながらそれをかかえて舞の稽古へ。
途中新宿ルミネで足袋を購入してから行く。
いま芸能研は31日の大国魂神社公演のために、本番に出る人たちの練習で
アップアップしているので新入りにとってはちょっとつまらないかもしれない。
上手い人の練習をみるのもまた練習のひとつではあるのだが。

帰りにアメリカ人のマークさんと一緒に大戸屋で夕飯を食べた。
マークさんと、ひとの体の「癖」について話した。
火曜日の授業にも通じる。「癖」が、神楽の練習を長年つづけていくなかで
舞の「個性」にかわっていくのだ、だから長期スパンで練習しながら
体とつきあっていくのが重要だという話になった。うむ、名言。




木曜日

さぼりDAY。
体調がイマイチなのに練習で無理したのがたたったのか、
体がおきようとしなかった。
毎週楽しみにしている岡崎ゼミと雅楽の授業に出られず。
日中は庭いじりをちょっとしてから、
夕方は林英哲の講演があるということで頑張ってムサビへ出かけた。
林英哲とキムドクスは古来の芸能を舞台芸術化したという面で、
やはりかぶる部分が大きい。世界的に成功しているというところも。
とても50代終盤とは思えない肉体から、とんでもないパワーが発されていた。
それはやっぱり20から30歳にかけての佐渡での果てしない訓練によるんだなと
思い、前田さんの修行時代の話を思い出した。
若いころの苦労は買ってでもしろ、か。
苦労してないな、おいら。




金曜日
ゼミの日。社会主義国家と音楽ということでいまはキューバをやっている。
キューバというテーマはとてもとても魅力的。まず音楽と、熱くて明るいラテン文化が単純に好み。
でもいまいち社会主義について知っていることが無いのと、課題の本が届いて無いので
討論に食いつけずにいる。勉強しなきゃいけないことは山ほどあるのだが
何からやればいいかわからない。うーむ。ただ、色んな国からやってきた留学生の
はなしが聞けるという点で、受動的ではあるがとても勉強になっている。
ゼミが終わったあとみんなでランチを食べていたら、
モンゴル・内モンゴル・キルギスの三人が羊の肉についての話でヒートアップしていた。
面白すぎるのでわたしも参加した。正月の贈り物に親戚のうちまで羊をつれていく
ことは今でも普通らしい。いつか彼らの故郷にお邪魔できたらいいなあといつも思う。

午後はシタール。もはや苦行以外のなにものでもない。
なんでみんながあの授業のスピードについていけるのか謎。
月曜日にコソ練しよ。。。

帰りに東急ハンズに寄ってスズキさんと扇さんのための木材を買った。
我ながらこの神楽セット上手く出来ている。
地元に技術を伝えて商品化しようかしら笑




土曜=本日

めずらしく舞の練習に行かずに家にいることにした。
読まなきゃいけない本が山積みだ!修行だ!

2009年5月19日火曜日

すずきさん第三号



今日は三線の練習だった。
最近は唐船どーいや、いちゅび小の早弾きもちょっとついてけるようになった。
鷲ぬ鳥節なんかもやっている。
来週は、ICU沖縄県人会の人を誘ってワークショップやるぞ~。

写真は段々慣れてきたすずきさんの第三作。
ビーズを艶消しのにしたらだいぶ鈴っぽくなった。
明日は舞の練習だ~。

2009年5月18日月曜日

すずきさん

山伏神楽に使われる、スズキという道具があります。
木に鈴がついてるものです。法器からきているとも、
ナニのシンボルであるともいわれているスズキ。
舞では、白い扇とセットで使われます。
一度何かにはまりだすときわめてミーハー女子的かつ
オタク男子的につきつめるわたしは、ある日思いつきました。

ミニスズキがあったら絶対かわいい・・・・。

で、つくっちゃいました。





われながら上出来。しかし問題は、元のモノを知らない
人が多すぎて、感動してもらえる人口があまりに少ない事であります。

材料は

割り箸・たこ糸・針金・ビーズ(全部家にあったもの。材料費ゼロ円)
しかし、必ずセットで必要な扇はこのサイズでは作れない、と判断されたので
明日東急ハンズにでも行って、ミニ扇がないか探してみようと思います。
無かったら作るしかない。

ちなみにこれは前にチャングチェ(太鼓のバチ)









ひまだなあ、こいつ。と思われがちだけど
ひまだからやってるわけではないのです。
一度やりはじめるととまらないんですわ、これが・・・

2009年5月17日日曜日

出た!出た!



トウガラシの芽が出た!
これは嬉しい。佐野洋子さんのエッセイ的に表現すると
「へそのしたがわくわくする」ようなかんじで嬉しい。
やっぱ、植物って執念深いなあ。人間は諦めが早いなあ。
いや嬉しい。

2009年5月13日水曜日

ロック54か条 ふたたび

第零条 ロックな女子はレイ・チャールズ を聞いてひとり踊る

今日はブギウギな気分なのでレイ・チャールズがBGM。
なんでこんな最高にご機嫌な音楽があるのだろう。
わたしのためにあるとしか思えない。
わたしの葬式のBGMはレイチャールズでお願いしたいです。

第29条 肉の生焼けと野菜のだめなのは鼻でかいで見分けろ

今日は腐ったネギに当たって朝から冷や汗流した。
久々に青ざめたぜ。まいったまいった。
敏感な野生の鼻を日常から鍛えましょう。

第6条 浪曲はロックだ

今日は授業でロック浪曲師、国本武春さんの演奏を見させていただいた。
三味線1本とうなりで、教室の学生達と彼は完全に一体になっていた。
有名な方で、前から知ってはいたけど、今日から大大大ファンになった。
昔話浪曲で大大大爆笑した。浦島太郎があんなロックに生まれかわるとはね。
太棹三味線から繰り広げられるブルージーでロケンローな音に打ちのめされました。
CD買いにいこーっと。そして東京でライブあるときは必ずいこーっと。

2009年5月10日日曜日

ベジフルプルコギ

昨日は ICUで舞の練習に出た後、
神田祭りにいって、異人行列や太神楽を見て
モンゴル鍋を食べてきた。あのナゾのタレはどうやって
作ってるのだろうか・・・うまかったなあ。

今日は一応母の日らしいので得意料理を作ることにした。

これ、悪いけど、旨いよ。
誰でも簡単につくれるテキトー肉料理。

①牛肉(わたしはいつも牛丼用のを400グラムぐらい)は
紙タオルでしっかり水気と血をふきとっておく。食べやすい大きさに切る。

②ヤンニョム(漬けダレ)をつくる。

にんにくみじん切り1かけら分
すりおろしたまねぎ 適宜
ねぎみじん切り 適宜
ごま油 大さじ1
料理酒 大さじ1.5
しょうゆ 大さじ5
胡椒 
ゴマ 
塩 各適宜

とかいってるけど、だいたい全部「適宜」。

ここからがオリジナル↓
すりおろしキウイ2分の1個
りんごジャム 小さじ2杯

梨のある季節は、すりおろし梨がスタンダード。
キウイも酸味があって良いのです。
りんごジャムは水あめの代わりなんだけど、むしろ美味しくなる。

以上の材料を、肉とよく混ぜる。
わたしはいつもビニール袋に入れちゃって、モミモミします。

③冷蔵庫でよく寝かす。本来は1日ぐらい寝かすらしいけど
だいたい「今日プルコギ食べたいなあ」と思ったころには
もう午後になっているので、できれば昼過ぎにはじめて3、4時間ぐらいは寝かす。
ま、1時間でもいいのですが。できるだけ長く寝かすのがベターらしい。

④取り出して、野菜と一緒に炒める。野菜はお好みで・・・

ニラ
にんじん
たまねぎ
ねぎ
エノキ など。

乾麺をいれて水分を多めにすると、トゥッペギプルコギ(鍋すきやき)にもなります。

何度も言うけど、旨いれす。
しかも結構適当でも旨いのがポイント。
肉料理なのに野菜たっぷりだし、味付けに入っている
キウイっていうのも新しくていいと思います。
これは韓国人のヘルシー派の友人に教えてもらった。

庭の大葉がすくすく育っているので今度は何か
シソを使った料理を考えてみよう。もうすぐ夏だし!

2009年5月6日水曜日

トウガラシの種に五月のわが身を想う

五月であります。東京は雨。

民舞の練習合宿で白州へ行って帰ってきたら、
数日前にトウガラシの種を蒔いた鉢が、水浸しになっていた。
がーん。よく見ると、ペットボトルから紐が出ていて
それが土の中に刺さっていて、つまりそういう配水装置が
勝手に導入されていたのだ。父の仕業である。
苗ならこの方式でも大丈夫だけど、種はデリケートだから
水のやりすぎはいけないのに。
私の留守を気遣ってくれたのは有難いがまったくおせっかいだ。
種は腐ってしまったかもしれない。
あーあ。嘆きながら家にあがると、
母が一言。

「その種はいまのあんたと同じよ。」

両親とも、最近口を開くと説教臭いのでうんざりなのだが
このなんとも鋭い指摘は結構ぐっさり胸に刺さっている。

確かにわたしは今やりたいことをやっていて、
竜笛だ、シタールだ、踊りだ舞だ、演劇だとみんな中途半端だし
面白い本や課題や色々な材料に若干溺れ気味ではある。
確かに確かに、心が贅沢になっていてガッツに欠けるかもしれない。
もっと状態がドライで飢えている方が水の吸収がいいかもしれない。

でも今年の私の方針はとにかくホンモノを見る、聴く、触れる(学ぶ)
なので、母さん父さん、悪いけど水やりよろしくおねがいします。というところ。
でもバイトはしなくちゃね。

水がドボドボに与えられてもなお、ドライで貪欲でいられますように。
五月病になんかなってたまるかこんちくしょう。

2009年4月20日月曜日

ひっちゃかめっちゃか

久しぶりに近況報告をば。

大学院生になりました。

かの(よのなかに適応できない人間を作る事で)有名な、
東京ゲー大のガックリ科に入学しました。
「アジアの音楽やって、将来なにになるおつもりなの?」と
よく興味津々キラキラお目目で聞かれますが
「なにになるつもりもありません。ただの物好きです。」
と答えてガックリさせるのが趣味の楽理科。
勿論そのうちなにかにはならなきゃいけないでしょうがね。

月曜はバリガムランの授業があります。
写真は今日の授業風景。
二週目にしてもうすでにバリ島!な音になっています。
やっぱり打楽器って入り口が広くていいですね。
まあ出口は迷宮なのですが・・・


火曜日は今までどおり沖縄三線をICUの師匠に習いに行き、
水曜日は三鷹で舞の稽古。
木曜日は雅楽の龍笛を習う事になった。
そして金曜日は念願のシタール。
ネパール人のおばちゃん先生はとても明るくて
楽しい人。でも授業のペースが明らかにおかしい。
超ハイパースピードで、なかなかついていけない。
シタールは、スチール弦なので爪の少し手前の肉に食い込むのが
めちゃめちゃ痛い、更に右手にはめるピックも針金みたいなのを
はめこむので痛い、そのうえヨガみたいなあぐらのかきかたが
なれなくて痛い。苦行だ・・・・。
だいたい年度末には人数が一桁になっているという噂である。
生き残るぞ!!!!
月曜から金曜までこんな調子でアジアを飛び回り、
日曜日には韓国のプンムル(農楽)の練習をする。
これは夢にみた生活じゃないか。
なのになんか、カナリ不安になります。
例えればスペイン語とヒンディー語とスワヒリ語と中国語を
同時に習うような不安感。
どれかひとつだと非常にありがたみがあって熱心にやるのだけど
新しい音楽にトライすることが食傷状態にならなければいいなと
思っています。淡々と、根気よくさじをなげずにやっていこう。
ちなみに、楽器で遊んでいるだけではなくてちゃんと勉強もします。
大先輩の音楽民族学者たちにかこまれて、ビシバシ鍛えられます。
さっそく特殊研究のテーマがとても興味深い。
「フィールドワークの影」という名前の本を使った授業で、
音楽学者が地域芸能、伝統音楽の現場でフィールドワークをすると
どんな弊害や変化がおこるのかということ、
フィールドワークって一体ナンなの、そもそも他人の音楽や芸能を
習うって一体何の意味があるのか?!ということを学びます。
本自体はどちらかというと非アジア文化圏のひとがアジアやアフリカ、
南米に行った体験談を話しているケースが多いみたいなんだけど
全く同じ事が日本の国内でも言えると思うのです。
他人様の地域に行ってそこのものを研究するってなんなのか、
私たちが常にさらされている一番痛い部分を突くテーマだと思います。
しっかり考えていきたいと思います。
そんなわけで、また。

2009年3月6日金曜日

芸能GEINOげいのう

日本に帰ってきてから、やはり2ヶ月半の
忙しさと無理があってか完全に伸びていました。
今日あたりからやっと行動開始。

今日は、徳島の三番叟まわしをやっている父の知り合いの方が
東京で公演をするというので明治大のホールに行きました。
お話がやっぱりうまい!そして人形遣いの芸がすばらしい。
伝統をそのまま受け継ぐ事の大切さを感じます。
今後もぜひ仲良くさせていただきたいかたがたです。
徳島遊びに行かなきゃなあ~!!
イベントの二部では芸能の大家、小沢昭一さんの話が聞けました。
もっと話ききたかったんだけど進行が上手くいかず思ったような
小沢節が聞けなかった。ザンネン。でも民俗芸能のCDで聞いてた
とおりの爽快な切れ味のトークだった。またどこかで話きけるといいな。

それから明日はひさびさにICUで民舞の練習。
午後は三線の師匠が司会を担当する沖縄音楽のシンポジウム。

これからの2年間は東京という地に住みながら
日本の各地の芸能とのかかわりを深めていけたらなと思います。

2009年2月28日土曜日

ついに・・・

昨日は、今回コチャンでであった西道ソリ(民謡)の先生から
電話があって、帰る前に会いましょうということで大学路の
サムゲタン屋に連れてってもらった。韓屋づくりのお店で
すごく素敵な雰囲気だった。店長がイケメン。。。
あとで店紹介します。

夕方はプンムルペの友人たちと新村で飲み会。
ひさびさにあった人も、今回の滞在のあいだにはじめてあった人も
ごちゃごちゃに会った。焼肉食べて、ビール飲んで。
これからもずっとずっと会っていきたい友人達である。
男の子は軍隊に行っちゃうとなかなか会えないので、
あー次来る時は会えないかもな、とも思うことがある。
女の子達だってストレートで卒業してしえば、就職して忙しくて会えないかもしれない。
最後にはみんなで握手してハグして、また来ることを約束した。

今晩帰ります。
これからがはじまりです。
今まで読んでくださった方ありがとうございます。
帰っても文章まとめて載せたりすると思うのでまたチェックしてください。

アンニョン、新村、アンニョン、チング達!

2009年2月26日木曜日

父からのメール

3月7日にICUでギラン先生のかかわる、沖縄音楽のシンポジウムが
あると父からメールがあった。アジア文化研究所の主催だ。
興味のある方はぜひご参加ください。

2009年3月7日(土)
13:20-18:00
国際基督教大学 本部棟206号室
司会・挨拶:Matthew A. Gillan (国際基督教大学)
久万田晋 (沖縄県立芸術大学 ・附属研究所)
沖縄のポピュラ ー音楽と民族アイデンティティの構築 -新民謡から 沖縄ポップへ-

3月の予定はまだあまり入っていないが
頭のなかが相当忙しくなりそうだ。
沖縄のこともがんがんやっていかないとね。

真夜中にふとめざめて

コチャン伝授館の事務室から日記を書くのは
何回目だろうか。昨日は、伝授館のポルムクッだった。
ポルムというのは旧正月1月15日のことで、
満月の夜にあわせていろいろなお祝いや厄除けをするのだが
今年の旧暦1月15日に、先生たちが日本公演に
行ってしまっていたのでその関係で旧暦2月1日である昨日、
伝授館のポルムクッを行ったのだ。
久々にひたすらチャングをたたいた。
農楽保存会のメンバーである地元のおじいさんのリードで
たたいたのだが、今までにない楽しさだった。
専門家の人が来てソッテやチャンスンを立て、そのまわりを
なんどもぐるぐる回りながらみんなで太鼓をたたいた。
太鼓をバチでたたいているのではなく、心の底から音を発しているような
そんな感覚につつまれた。ほんとうに忘れられない。

それから、昨日の早朝、はじめて豚をつぶすのを見た。
豚の断末魔の叫びをはじめて聞いた。解体ショーも見た。
やはり生き物を食べることってスゲー行為だなと思った。
目の前でさばかれた豚の肉で作ったキムチチゲやカルビは格別だった。
焚き火をたいて、焼肉をしながら飲む焼酎は
どこまでも心を開放してくれるすがすがしい味だった。
というわけで気づいたら寝てしまい、じゃなく、気づいたら真っ暗な部屋で目覚め
周りにはごろごろとまぐろがたくさん転がっていたので抜け出してきたのだ。

チャングをたたきながら思ったこと。
2007年3月にここで初めてポルムクッに参加したが
それから早2年が過ぎた。でもたった2年という気もする。
それまでの22年間は一体果たしてなんだったんだろうというぐらい、
コチャンの人たちとの絆は深い。会えないときは夜眠れないほど会いたい人々。
今、2年前とは比べ物にならないほどその絆が深まった。
しかしコチャンにくるといつも感じるわくわくどきどきそわそわ感は
全然変わっていない。ここに来ると心にいつも風が吹いて、
気づくと心が開かれていて、大笑いしたり大泣きしたり大いに酔っ払ったりしている。

白髪にしわだらけで腰が曲がっても、コチャンに好きな人たちがいる限り、
来続けると思う。今後、日本で家庭を築くことになったら
自分の田舎のように年に数回は家族をつれてコチャンに来たい。
親戚のおばちゃんおじちゃんのようにここの先生たちや地元の人たちに
こどもを見せたり、かわいがってもらったりしたい。
そんな夢を心に秘めて、ここを出ます。

ふりむくと涙が出るから、わざと冷たくそっけなく去るんだ。
さらばコチャン。

2009年2月24日火曜日

仁寺洞マッコリ万歳ツアー

バイトしてた韓国料理屋に「飲み比べマッコリ」という
メニューがあって、超小さいショットグラスに3種類のマッコリをついで
出すというとてつもなくケチなアイディアなんだがこれが結構人気があった。
日本人はこういうのに価値を感じやすいらしい(悪く言えばだまされやすいのかも)
韓国人が見たら怒りすら覚えるかも知れない。笑

昨日はその拡大バージョンで、
長山島の打ち上げで、モ先生とその仲間たちとともに
仁寺洞マッコリツアーをした。別に意図的にツアーしようとしたわけではなく、
行く店行く店「あと2時間で閉店ですが」と言われながら移動し続けた結果、
5軒はしごするはめになったのだった。せっかくだからマッコリを注文しようということで
ずっとマッコリを飲み続けた。

つまみ一覧

1軒目はすいとん屋。牡蠣パジョン(チヂミ)にスジェビ(すいとん)
2軒目は全羅道食堂。ホンオを食べる。
ホンオはエイの刺身のくさや?みたいなもので、
何日間も放置して発酵させる。アンモニア臭がすごい。
全羅道では祭りにこれが出ないとはじまらない。私は食べられるけど
食べられない人は多そうだ。
3軒目は、ホンオと対照的に慶尚道の食卓によく上がるというクァメギ。
ニシンやサンマの干物。日本人にも受けそうだ。
4軒目はトッポッキ。あんまりおいしくなかった。
5軒目はポジャンマチャといって、道端にテントを張って出している
屋台の飲み屋。牡蠣、貝類をつまみながら、もうほとんど死にかけていた。
そしてぐだぐだと夜が明けていくのでありました・・・

1月2月はほとんどモ先生と一緒に旅していたような気がする。
ありとあらゆることを語った。学問の先輩として、芸の道を極める師匠として、
コチャンの家族の一員として、多くの話題を分け合える友人として、
頼れるお兄さんとして、これからもずっとずっとギブ&テイクしていきたい
すばらしい人物である。出会いに感謝。

これから再びコチャンに向かいます。
最終目的地はやはり我がふるさとコチャン。
旧正月の時に先生たちが日本公演で不在だったため、
明日ソッテとチャンスンを立てるんだそうだ。
ソッテとは、細く高く伸びた木の柱の先にシンプルな水鳥の形の彫刻を乗っけたもので、
昔は村々の入り口に立てたんだそうだ。造形物としてすっきりしていてかっこいい。
水鳥が神の使いであり、火事を防いでくれるという意味あいがあるといわれている。
チャンスンは木の幹を丸ごと使って顔を掘った韓国のトーテムポールで、
これもやはり村の境目に立てられ、その村の守護神として祀られていた。
伝授館の入り口にもこれを立て、みんなで太鼓を叩いて
一年の安全と繁栄を祈願する。大事な行事だ。

旅の締めくくりにぴったりだ。
さあ、かばんをしょって出かけよう。

2009年2月21日土曜日

まぶしい冬空の太陽、そして海風

韓半島の地図を見ると、左下のほうにグジャグジャっと島がいっぱい散らばっている。
それが、全羅南道新安郡だ。
今回の旅の目的地は新安郡の島々のひとつ、長山島(チャンサンド)。
木浦から船で40分。極寒の甲板で缶ビールに辛ラーメンをすすりながら行く。

「情」の国、韓国に住んだり通ったりすること3年が経つが、
長山島のおばちゃんたちほどに情の厚い人たちは初めてだ。
昨日島を出てきたばかりだが、おばちゃんたちのことを思うと涙が出てくる。
家に泊めさせてくれたおばちゃんを「オンマ」(母さん)、オンマの親友であり、
巫女である近所のおばちゃんを「イモ」(叔母さん)と呼ぶことにした。

こてっこての全羅南道のなまりで「アーーッタ、オメー、コシギモシギ、クラージェ!」の嵐、
会話は6割ぐらいしか聞き取れないが心が通い合えばそんなことは問題にすらならない。
オンマが作ってくれる南道の食事は、最高においしかった。
種類が豊富な海鮮類に、畑でとってきた新鮮な野菜、そして出来立ての豆腐!朝出来立てホカホカの豆腐で作ったスンドゥブチゲは、世界で一番美味しいと思った。
最後の夜は、同じ布団をかぶってオンマと色んなことを語り合った。
出会って数日とは思えないこのやさしさ。
しかも日本人の私にそこまでしてくれるというこのありがたさ。
涙が出ます。


さてはて、昨日夕方、1週間の旅を終えて帰ってきたのだが
頼りにしていた新村近辺の友人たちは皆事情により
家に泊めてあげられないとのことで、引き払ったはずの下宿のおばちゃんを
拝み倒して2日間だけ空き部屋に居させてもらえることになった。
チムジルバン生活になるかと思ったがなんとかなった・・・
ずうずうしさは我が友、我が武器である。わはは。

韓国での長い放浪の旅もあと一週間で終わろうとしています。
2ヵ月半もいたのに会えなかった人だらけで残念。
でも、今回の旅は本当に新しい人たちや新しい土地との出会いの連続でした。

12月はソウルでぶらぶらしながら良質インディバンドのバンドマンたちに
たくさん出会えたし、1月はイクサン、コチャンのプンムル合宿でいっぱい
太鼓叩いたし、蝟島では船送りの行事をしっかり見たし、
2月は霊光でまた太鼓叩いて先生と語り合い、
なんといっても済州島が最高に楽しかった。
めちゃめちゃいっぱい酒飲みながらはちゃめちゃに楽しい日々をすごした。
そして長山島。以上旅のハイライトでした。

帰る前にコチャンで行事があるので参加してから28日に帰ります。
コチャンはやはり私のなかで、ゆるがない心のふるさと。
旅の最後を締めくくるのがコチャンというのはとても安定感がある。

いつか、こうして韓国でもらった多くの情にお礼をするときがやってくると思う。
まだどうやって返したら良いかよくわからない。
今回の旅で世話になった全てのひとに
ありがとうと叫びたい!あいしてるぜと叫びたい!

さて、問題はこのたびをいかに整理するか、帰ってからが勝負なのであります。
資料、本もドッサリダンボール箱に2箱手に入れてしまったので
端からひっくり返して読まなきゃいけない。

3月、相当忙しくなりそうです。

2009年2月15日日曜日

怒涛の週末

金曜夜にソウルに戻り、下宿の部屋の整理に追われた。
いや、正確にいうならば整理しなければならないという義務感に
かられながらも疲れと面倒くささに負けてほとんど手は動かしていなかった。

土曜日昼、中央大学(チュンアンデ)の音楽学の権威である教授に会いに行った。
先生の研究所は地下鉄1号線のはじーーーっこの方で、ひたすら遠かった。
いろいろためになるお話は聞けたものの、ものすごく高いところにいる人と
いった感じがして、仲良くなりたいとは思えなかった。学問をするにあたって
今後こういうことはよくあるのだろうが・・・

午後、新村に戻ってやるべき仕事を1時間以内に4つもこなした。
まず教授様にお借りした資料をコピー。
ここはコンビニにコピー機が無い国なので、コピー屋さんを
探さなければならないので苦労した。
そして外付けハードを買いに奔走。新村は便利そうな町に見えて
そういうものは全く売っていないということが判明した。
それから、飛行機の予約。土曜日は休みという旅行社が多く、全然
電話がつながらないのでネット予約した。外国人はインターネットサービスに
会員加入できないケースが多い。友達の名前と住民登録番号を借りた。
それから、ごったがえすデパートに突入してチョコレートを買った。
ああ、疲れた。

夜は、建国大学(通称コンデ)の近くにある社会人プンムルペ、「ウルリョク」の
練習室に遊びに行った。霊光で知り合ったオッパがそこで講師をやっているので
会いに行ったのだ。図らずも14日に約束をしてしまったのでチョコレートを
手に登場しなければならず、こっぱずかしくて仕方なかった。

死ぬほど人が多い、いやカップルが多いショッピングモールをちょっとぶらぶらしてから、
人気のスンデ屋に行きスンデクッを食べる。なんとそのスンデ屋の
地下がウルリョクの練習室だった。練習室のパソコンでキムドンオン先生の
ソルチャングの動画を見た。キムドンオン先生とは全羅道タミャンで活動している
チャングの技能保有者のおじいさん先生で、ソルチャングがめっちゃかっこいい。
霊光ではこの先生のソルチャングを伝承している。動画を見ながら先生の
キュートさに思わずニヤニヤ。 オッパは、いつか自分も自分だけのソルチャングを
つくり、後世に名を残す名人になりたいんだと野望を語っていた。

その後20分ほど電車に乗って、
オッパが通っていたソウル産業大学に遊びに行った。
産業大のプンムルペの人たちも集まって、みんなでマッコリを飲んだ。
産業大は明らかに男子が多い。したがってよく飲みよく食べる。二次会の時点で
ほとんど記憶がなくなって、気づけば終電は終わっており・・・・

プンムルペの部室に移動してピザにビール。ああ、美しき学生生活。
酔っ払ってみんなで太鼓を叩き始め、チルチェだサンドサムルノリだ
霊光パンクッだとか言って全然かみ合わないカオスなリズムを叩き続け、疲れ果て、寝た。
今朝6時に目覚めたらなぜかウルリョクの練習室に戻っていた。

外に出ると、うっすら雪が積もっていた。道理で寒いと思った。
オッパは今日これから大学の後輩とソゲティングらしい・・・
※ソゲティング(紹介ING)とは、友達や知人の紹介で男女が一日デートしてみて
付き合うかどうか決めるという行事。

私はといえば、心のどこかにちょっぴりせつない思いをかかえたまま
これから11時までの間に死ぬ気で部屋をかたづけて
1時には荷物をまとめて出なければならない。
5時までに全羅道に南下する予定なのだ。
ほぼ不可能である。いや、やれる。I CAN DO IT!

2009年2月12日木曜日

春の嵐

ここ全北地方では、昨晩は霧に覆われ10メートル先も見えない夜だったが
今日は砂嵐が吹き荒れて気温はだいぶ上がって5月ぐらいの陽気。
外にかかっている鉄製の風鈴が落っこちそうなぐらい激しく鳴っている。

今日は比較的早く起きて伝授館を出て、全州まで行ってきた。
コチャンから全州は市外高速バスに乗って1時間強。
全北大学で農楽や民俗劇を研究しているキム・イクドゥ教授に会ってきた。
この先生とは一度是非会いたいと思っていたら、
旧正月に行った蝟島でばったり会って(写真で顔をよく見ていたのですぐわかった)
時間があれば必ず大学に訪ねに行くと約束したので、今回その約束を果たしてきた。
つくづく私は人との出会いに関して運がずば抜けて良いようだ。

民俗劇や民俗ノリを研究するにあたって、
西洋の演劇史や演劇に関する哲学も学ばないといけないなあと
先生の話を聞いて実感した。修士の間にやることは死ぬほど多い。

済州島での出来事について昨日の補足をば。

1、男社堂研究の始祖、唯一の大家といえる
沈雨晟(シム・ウソン)先生に会えたこと。
写真の顔から勝手にむずかしい人だと思っていたけど、
やさしいおじいちゃん先生だった。6月に日本で一人芝居やるそうだ。
絶対に見に行こうと思う。

2、役者であり、済州の巫俗に深く関わってもいる
オ・ヨンスン先生との出会い。先生の一人芝居を見たこと。
産神ハルモニといって、子供の誕生を決める神様がいるのだが
その神様がどのように神様になったかという内容だった。
子供を産むってどういうことなのか、その神聖な意味を考えさせらる劇だった。

3、済州民俗博物館のチン・ソンギ先生との出会い。
長年ひとりで済州の大事な古いものを守り続けた番人のようなおじいさん先生。
詩人でもある。著作を何冊か購入してきたので早く帰って読みたい。

4、済州大の若手民俗研究者ソンジョンヒさんとの出会い。
済州島の巫堂である「シンバン」を追いかけて昼夜を問わず島を駆け回る。
パワフルかつシャープかつシニカルな姉貴。これからものすごく頼りになりそうな人物。

5、なんといっても済州島のうまいものを食い尽くしてきたこと。
写真入りで自慢の日記書きます。ぐへへ

たったいま、吹き荒れる嵐とともに
日本に公演に行ったコチャン農楽チームの一員が帰ってきた。
疲れてそうだけど日本の話いろいろ聞くぞ。

2009年2月11日水曜日

ごぶさたしております

霊光右道農楽伝授館から、バスに乗って光州へ、そして
光州空港から済州島に飛び、四泊五日の夢の宴を終えて帰ってきた。

蝟島での出来事も霊光での学びも整理できないまま済州の旅も
終わってしまった。宿題はつもるばかりであります。

済州の旅は、一言で言えば「いかに酒を旨く飲むか」を極めた旅だった。
計画当初の目的は、立春、テボルム(旧暦の満月の日)周辺に
各村々で行われるクッを見に行くことだった。
神聖な祭儀であるクッは朝5時、6時といった早い時間から行われる。
したがって、夜中まで酒を飲んでいると、見に行くのは人間的に不可能である。
一緒に過ごすメンバーからして無理であった。笑

蝟島に一緒に行った民謡、童謡の研究者であり作曲家でもあるモ先生、
晋州で小学校の先生をしていて、民謡も上手いクォン先生、
そして済州島で迎えてくれる人々は、皆それぞれ「よく食べよく飲みよく遊ぶ」
「広大(クァンデ)気質」の人々である。広大とは、韓国の芸能者のことで
楽器、歌、踊り、芝居、道化などを見せて僅かな金を稼ぎながら放浪していた
人々である。そういった芸人の気質を持ち合わせた現代人もいるということであって
実際芸人として暮らしているわけではない。それぞれ教育に関わる仕事をしている。

そんな人々が集まって、旅をしながら田舎の年寄りたちに昔の歌を尋ねる。
おばあさんたちの心の中にだけ存在する、消えかかった歌を記録に残す。
そしていずれその歌を、子供たちに伝えていく。全国でそういう活動をしている。
情熱あふれる仲間たちである。

会えば飲みながら歌って踊り、うまいものをひたすら食べ、
楽器片手にカラオケルームにこもって機械を放ったまま4時間も遊べる人々。
楽器さえ、要らないときもある。スプーンと瓶さえあれば歌があふれるように出てくる。
それも、歌詞がその場で作られた即興のものであるときが多い。
酔っているので内容はたいていどうしようもないが、
その遊び方自体が昔の芸能者のようですごい。

朝5時まで一緒に居ても、話の尽きない仲間たち。
遠いところにいるときも、いつも頭の片隅にこの人々がいるのだと、それぞれが認める。

というわけで、彼らと遊ぶ時間の方が大事だったりして、まともな伝統行事を
ひとつも見られなかったというのはスポンサーである父には内緒である。

彼ら以外にも、大事な出会いがいくつかあった。
今日中に第二部としてアップします。
急に太鼓が叩きたくなってきたので、練習後にまた。

2009年2月3日火曜日

霊光で健康を考える

ここ霊光右道農楽伝授館は、霊光の市内(邑内)にある。
田舎には違いないが、それでも町のなかにある伝授館というのは
新鮮だ。コチャンの伝授館は田んぼ畑のど真ん中にあり、
廃校になった小学校を利用した建物がドーンとひとつあるのみで、
まわりには本当に何もない。
ここは、目の前にコンビニもあるし飲み屋もあって不思議。便利ではある。
畦道に沈むコチャンの夕日が恋しくなる事もあるけど、
町のなかの伝授館もなかなか良い。

先生は二人。保存会のサンスェ(リーダー)であり
伝授館の館長である先生と、お連れ合いが二人でやっている。
娘さんがまだ小さくて、ヨチヨチ歩きで伝授館をかけまわっている。
笑顔がスーパーかわいい。
伝授館では、プンムル以外にも剣道やヨガの授業もやっていて、
地域のおじさんおばさん、こどもたちが出入りしている。

先生は、授業中にいろいろためになる話をしてくださる。
体の健康のこと、プンムルの精神、人生のヒントなどなど・・・・
去年の夏にはじめて会ったときは寡黙で気難しい人と思っていたが
全然そんなことなかった。温かみのある人である。

プンムル人といえば、浴びるように酒を飲み
よく食べよく戯れよく働き、猛烈に汗だくになって一生懸命跳びはね、
踊りくるい、仕舞いにはぶっ倒れる・・・みたいな人間が多いと思っていた。
俗世の楽しみを120%満喫するような生き方。
私はそれがプンムルの美学だと思っていたし、今も多少は思っているが
違った考えた方の人に出会って少しずつ変わり始めている。
益山で田舎暮らしをはじめた友人たちも肉とスナック菓子とたばこをやめた。
お酒はちょっとだけ楽しむ程度。彼女たち曰く、
汚れた体からは、澄んだ音や美しい舞は生まれないらしい。
ここ霊光の先生からも今日名言が出た。

「本当に酒を上手にたしなむ人とはどんな人か?
たくさん飲んでひっくりかえっても翌日にひっぱらない、
そういう人が上手い酒飲みとはいえない。
一杯だけ飲んで良い気分になって酔っ払える人が一番幸せな酒飲みだ。」

先生もお酒はそれなりに飲むようだが健康を考えての一言だろう。
あんまり韓国人っぽくないような気がするが、なるほど鋭い見解だと思う。
そういう点ではコチャンやソウルの某Sプンムルペとは天と地の差である。
祭りや公演のときに、ちょこっと酒の力を借りれば
音に勢いが出ることは間違いないし、(飲みすぎると全く使い物にならない。経験済)
徹夜でバカ騒ぎの打ち上げみたいなのもあっていいと思う。
いや、私はむしろそういうのがないといきていけない。
だって楽しいんだもの。
でも長い目で見たとき、やっぱり体を整えるのって大事だし、
体に嘘をついていると人間はまっすぐに生きていけない。
若くても、健康のこと考えてる人って素敵な気がする。

ここのところ練習でひどく膝を痛めてしまった。
病院にもいった。そもそもO脚で、膝の関節に負担がかかりやすいらしい。
レントゲンの写真で、骨と骨がつながっている部分が真っ白に磨耗していた。
まずはプンムルやら踊りやら農作業どころではない。
普段から膝へのリスクを減らす根本的な生活習慣改革が必要になりそうだ。
どうせ死ぬなら100までしっかり食べて踊って太鼓たたいて楽しく暮らさなきゃ!

膝のせいでまともに授業中に体を使う事ができずに
はがゆい思いをするはめになっているけど、そのおかげで
色々な事を考えるようになった。体がだめならしばらくは頭を使おう。

題名も内容もひどく老人じみている今日の日記でした。笑

2009年2月1日日曜日

殺人的日程・・・

蝟島からソウルに戻るのにコチャンを経由したら、思わず長居してしまった。
昨日の朝、伝授館をでてチャン邑内の整形外科で膝のレントゲンをとって、
異常はないけどこれからプンムルはなるべく控えなさいと言われてしまう。
関節に負担がかかって骨が白っぽく疲弊していた。がーん。

痛い足をひきずったままバスに乗り込み、夕方ソウルについたとおもったら
そのまま新村でコチャン合宿の打ち上げ。
マッコリだビールだソジュだ、肉だチヂミだ、
途中でコチャンの先生がサプライズで登場するわ、
あれあれというまに午前3時。家に帰って死んだように眠った。

今朝は9時に起きて大急ぎで洗濯をまわし、写真の整理をした。
朝ごはんを食べて、コインランドリーに乾燥機回しに行き、
荷物をまとめて、午後2時半に家を出る。
ばかみたいだけど、また今日はコチャンの隣の町、霊光(ヨングァン)に
来ている。なんでコチャンから直接行かなかったかって・・・・
飲み会のためと、お金がなくなったためと、写真の整理と、洗濯・・・。
てんやわんやで落ち着きもせずまた旅に出るのだが、
たったの一晩とはいえ、下宿とはいえ、
私だけの空間、我が家で過ごすと少しは落ち着くものである。

今は霊光の伝授館。ここはコチャンより小規模で、先生も一人。
学生も全部で15人程度で、こじんまりと楽しくやるかんじで悪くない。
ここの師匠も、温かみのある人。前に来た時はちょっと
怖いイメージだったが、そんなこともなさそうだ。
子供が小さいので親バカなパパでもある。
剣道の先生でもあり、茶道もやっていたりする芸能者だ。
明日から楽器の練習がはじまるのでとても楽しみ。
隣の地域であるコチャンとの違いと、
ここだけのプンムルの味を探せたらいいなと思う。

金曜の昼までここで伝授合宿を受けて、夕方には済州へ移動。
なんだか中途半端でもったいないが、回遊魚の放浪旅人は、
別れに感傷的にならないように心をコントロールしなきゃならない。

ああ、韓国のどこかに私を待ってる人がいる。

なんつって。
ここでもせいいっぱいたくさんの事を吸収して行きたいと思う。

2009年1月29日木曜日

ハリネズミ島で会いましょう

コチャン伝授館からふたたびこんばんは。

重要無形文化財、蝟島(ウィド)ティベンノリを見てきました。
蝟島はコチャンの隣の扶安郡に属していて、扶安からコチャンは
車で1時間ほどなのでここに寝に来ました。ホームスイートホーム・コチャン。

ティベンノリは、「韓国マウルクッ研究」という本で知って以来
かならず行ってみたいと思っていた。
村の守護神に村の一年の安泰と漁業の繁栄を願う部分では
儒教的な祝祭の雰囲気もあり、巫女が出てきて歌や踊りを踊って大きな役割を
果たしもする。農楽ももちろん重要な位置を占める。
最後のクライマックスでは茅で作った船を海に流すという
具体的な行為でもって村の人々が一体になって盛り上がる。
とても統合的で韓国のマウルクッ(村祭り)初心者にもわかりやすい行事だった。
内部の事情はいろいろあるにしても、一般客としては十分楽しめた。

一緒に行ったメンバーがまたすごい。
1、前にも日記に出てきた、民謡研究者のモ先生。
各地の童謡を調べて全国を駆けまわっている放浪の学者。
歌のレパートリーがはんぱなし。チャングの伴奏もはんぱなし。
人の遊び心をひっぱり出す天才である。

2、コチャンで出会ったテグム(横笛)奏者チョン先生。木浦出身。
テグム暦19年、29歳。今は芸術高校の先生をやってる。
巫堂クッにも大いに関心があり、話があうので今回誘って一緒に行くことになった。

3、やはりまたまたコチャンであった民謡の歌手、オ先生。
パンソリの発信地であるコチャンの出身でありながら、
若い頃にソウルに引っ越した関係で、20歳のとき
西道ソリ(北朝鮮の民謡)に惹かれてそちらの道に入ったという。

よく考えたら私以外全員が全羅道出身の芸術家たち。
私ももっと何かひとつこれだ、といえる芸を持っていればなあ。

ビギンの「竹富島で会いましょう」という曲をちょうど最近練習しているので
「ハリネズミ島(蝟島の蝟は針鼠という意味らしい)で会いましょう」に改題して
歌詞を考えてみようかしらと考え中。明日ソウルに帰るバスでどうせ暇だから考えよう。

島で起こったさまざまな笑える出来事と、祭りの内容は
ソウルに帰ってから写真をまじえてお伝えします。お楽しみに。

2009年1月26日月曜日

あけまして・・・

本日は旧暦の正月1日です。

あけましておめでとうございます。

セヘポクマニパドゥセヨ。


本来の予定ならば友人の田舎の家でおじさんたちと
お酒飲みながら三線弾いてた!はずだったんだけど
事情によりソウルに戻ってきて、
13人の学生が全員去り静まり返った下宿で過ごした。
昼過ぎにおばさんと息子家族がチェサから帰ってきて
チェサで残った食べ物を山盛り持って来てくれた。

昼から過食・・・!カルビ、ポッサム、キムチチゲ、豆ご飯、
チヂミ系のさまざまな焼き物、チャプチェ山盛り、
そしてデザートに餅餅餅、りんご、みかん、梨・・・・・・
も・・・もう食べられまひぇん・・・。
いつもは人の声がしてる裏の教会や幼稚園からも、物音ひとつ
聞こえてこない。道路にも車が少ない。これがソウルの旧正月です。

明日からはふたたび全羅道へと南下し、
全羅北道扶安郡、蝟島(ウィド)という島に海の祭を見に行きます。
蝟島の蝟は、どんな意味だろう、何かの虫だろうかと思って
漢和辞典をしらべたらなんとハリネズミだそうで。
島のかたちがハリネズミに似ているところから来ている名前だそうだ。


見に行く行事はティベンノリという。 (띠뱃놀이)
これがいかにもうちのアボジの好きそうな行事。

厄を集めたわら人形を茅の船に乗せて海に流す、豊漁祈願の祭儀です。
はじめて本格的にこういった行事を見に行くのでいまからわくわく。
しかも島は済州以外では初めて。ハリネズミ島報告書にこうご期待。
しっかり取材して父っつぁんに自慢するぞ。

2009年1月25日日曜日

心を鍛える1週間

イクサン聖堂浦の合宿所からコチャンへ移動し、
コチャン伝授館で1週間の練習合宿を受けてきた。
イクサンの合宿にくらべ、立って楽器をしばって練習することが多いのと、
酒文化がハードなのはわかってはいたがやっぱりハードだった。
でも、奇跡的にお腹も痛くならず風邪もひかずに一週間を過ごした。
イクサンの友人たちに、体の大切さをたくさん学んだからかもしれない。

コチャンではやはりチャングを習った。
チャング班は、小学生のチビども5人に、
はじめてプンムルを習う大人2人に、
ソウルからの大学生3人に、
前週からひきつづき残っている大学生3人という
よく言えばバラエティーに富んだ、悪く言えば、
なんとも授業の舵取りをしにくいごちゃごちゃメンバーだった。

担当の先生は、コチャンで私が一番だいすきな
ソンス師匠。過度の熱血漢でおっきくてギターと歌のうまいイケメン。
一番信頼している師匠なので、助けになれればと思い
チャング班の班長になることにした。
しかし。師匠は初日の午前から殺人的な進度で授業をすすめ、
ソルチャング(チャングだけで見せる個人技)のカラク(リズム)を
たった3時間で最初から最後までやってしまった。
ついていける人はついていけるが、はじめての人にとっては
無茶苦茶な授業であった。それに関して大人の生徒と喧嘩になり、
師匠はチャングの撥を叩きつけて部屋を出て行ってしまった。

子供たちはその間サボってMP3で映画を見始め、
年長の子を捕まえて私が本気で叱ったらその子が号泣して宿舎にひきこもってしまい、
ひっちゃかめっちゃかであった。個人攻撃したのが問題だったようで、
その年長の子に、「オンニは冷たくて最低な班長だ、みんなそう思っている」と
さんざんやり込められて、誰が悪いのかだんだんわからなくなる。
韓国語の授業で、子供を上手に叱るシチュエーションの練習なんかしなかったぜ。
誰か教えてくれ。誰かどうにかしてくれ。どうにでもなれ。

と、初日からお先真っ暗であった。どうするカナリ班長!と思っていたら
午後の授業のときに師匠が突然ビールとジュースとお菓子をどっさり買って来て
みんなで話をしよう、というのである。さすがは心の師匠。
どこまでもあなたについていきます・・・・!
班長、ビールをがぶがぶ飲んで一生懸命明るい雰囲気をつくり、
師匠と喧嘩した大人の生徒ともいっぱい話してもつれた関係を解き、
子供達ともなんとか仲直りした。

2日目から真剣にチャングを叩いて走って走って
足がつっぱってまともに歩けなくなってもまた走った。
飲んで飲んで走って走って。食って食って走って走って。

そして昨日は最後の発表会だったのだが、結局サンチャング(チャングの頭)になった。
年齢差も身長差もはんぱない13人が横に2列に並んでソルチャングをやるのは
かなりきびしい条件だったが、順番どおりすっとばさずに最後までやれたので
わりと満足である。実はリハ練習の時の方が断然楽しかったしうまくいった。
走ってる間に、自分が風に乗ってるようなあの感覚。
師匠にあの回を見せられなかったのは残念である。でも、サンチャングとして
一番先頭で走って、後のみんなが楽しそうに踊ってくれた、それだけで十分。
サンチャングとして、チャングチェビ(奏者)としてはこれから勉強することが山積みだけど、
思いがけず精神的に鍛えられて伸びた自分を感じた1週間でした。
下手くそでも変でも信用を得られなくても、最低な人間と叫ばれても、笑
めげずにこれからもはしります。

師匠、これからも、もっともっといっぱい教えてください。と心でつぶやきながら、
白い風にびゅーびゅーと雪がふぶくコチャンを後にしたのであった。

2009年1月17日土曜日

錦河聖浦での最後の夜

錦河沿いの村、聖堂浦(ソンダンポ)でのステイが終わろうとしている。
一週間、よく食べよく眠りよくしゃべりよく練習した。

12日月曜日から伝授館で左道農楽の合宿がはじまった。
おじいさん先生の弟子四人を中心に、
小学生から高校生まで13人のメンバーで行われた。
農業などで自活しながら共同体生活をしている学校の生徒たちが
ほとんどで、みんな素直でいい子たちだった。
(大人の言うことは本当に聞かないけど。)

木、金曜日には、弟子たちが公演の出前で
全羅南道ポソンという町に行くことになり、
9人乗りのバンに13人乗って全員で向かった。
正農会という、クリスチャン系の有機農農家の集まりがあるのだが
そこの定期研修合宿の打ち上げに呼ばれたのである。
というのも、弟子の一人の両親がそこの古株会員で、
彼女の家は昔から有機栽培でなんでも育てて食堂をやっている。
昔ながらの韓屋(古民家)に住んでいて、外国からの
客もよく泊めたりするらしい。とにかく食べ物にうるさいうちである。
そういうわけで、みんな親戚のおばちゃんおじちゃんのように
彼女たちをよく知っているのであった。

突然私も一緒に公演することになった。
衣装に着替えて、コチャンのソゴチュムを踊った。
(小さい太鼓を手に持って踊る踊りで、
私がずっと習っている地域のもの。)
久しぶりだったけどやっぱり楽しいものである。
弟子の一人と一緒にやったのだが、やっぱり彼女の方が
百倍上手いので観客の視線がそっちに集まってて
ちょっとせつなかった。笑 いやいや、楽しかったからいいさ。

次の日には、正農会のメンバーのおじさんたちと一緒に
韓半島最南端の町、全羅南道ヘナム(海南)をまわって帰ることになる。
ポソンからヘナムまで行く間の風景は、いかにも
「南道!」という感じで、あたたかい太陽の光にかれたススキが
さわさわと輝いていて、そのうち遠くに海が見えてきたときは、
本当に心にいい風が吹くような気分だった。

ヘナムでは、超豪華な海鮮ナベ(ヘムルタン)を食べた。
イカ・エビ・貝類いろいろ、あわび、さざえ、テナガダコ(生きたまま)
などなどがグツグツ煮え立つ上に、新鮮なニラとモヤシをわっさと
乗っけて真っ赤なスープをぶっかける。最高。サイクー。
全羅道ではよくおかずで登場する「メセンギ」という海草に最近
めちゃめちゃはまっている。たぶんアオサノリ系だと思われる。
ごはんたべて、最南端の海岸に行ってみんなで海をながめた。
やっぱり海は広いな大きいなきれいだな。
流木のスケッチとか貝拾いとかしちゃったりなんかして、
冬の海を十二分に堪能した。

9人乗りバンに13人+太鼓、荷物×(海南から伝授館のある益山まで6時間)
はなかなか厳しいものがあり、足腰が痛くなるわ
子供たちはぎゃーぎゃー大騒ぎするわ、大変だったけど
2日間の旅行でみんな仲良くなったような気がする。

伝授館に帰って、金曜の夜のみんなでの練習は熱かった。
2日ぶりに太鼓をたたくからか、こどもたちもやる気だった。

土曜日、木浦大学で民俗学の研究をしている博士課程の人が
おじいさん先生にインタビューに来た。しめしめすばらしくいいチャンスである。
おじいさんの言葉は日本で言ったら津軽弁のようなもので
ソウルの人でもなかなか聞き取れない。もちろん私は10%もわからない。
でも、その研究者の質問が研究者らしくとても的を得ているいい質問だったので
おじいさんの答えも聞こえてくるようだった。
昔、ここ聖堂浦は全羅北道から税金が集まってくる町で、いかに
豊かだったかということ、船や人々がいったり来たりするため、
文化がいかに洗練されていたかということ、農楽がいかに盛んだったかということ。
昔おこなわれていた神聖な祈りの儀式のこと。
おじいさんがどうやってチャングをたたくようになったかということ。
いろいろ聞けてとてもいい勉強になった。
その内容はいずれ整理してまたここに載せます。

午後は最後の練習。
ソルチャング(プンムルの中で、チャングだけが叩く個人技。)
のカラク(リズム)も習ったが、ほかの地域よりも複雑で面白い気がする。
味があるといったらいいか。上手く叩けば、観衆がみんな踊りだしそうな
素敵なリズムがいっぱい詰まっている。また来て習いたいと思う。

なによりもおじいさんの魅力と、
弟子である友人三人の持っている夢、希望に満ちた新しい生活に
とてもとてもいい感じを受けた。
三人は、私にもここに来て住めと言っている。笑


それもまたいいかもしれない、なあ。

2009年1月14日水曜日

イクサンの星降る古家で

太鼓たたきの友人が3人で田舎暮らしをはじめた。
ここは益山市、聖堂面、聖堂里。
西海岸に面した、クムガン(錦河)沿いの村である。
昔は全羅北道の税金のすべてがここに集められたという。
集められた米や農産物、水産物を載せた船がここから出たり入ったり
していたという。その船の航海の安全を祈って農楽が盛んに行われたという。

友達3人は古い空き家にすんで、
農楽伝授館でおじいさん先生に太鼓を習って暮らしている。
近所のおじさんおばさんたち、故郷の家族に助けてもらいながらも
一生懸命生活している。太鼓の公演やこどもやお年寄への授業を
担当しながら、なんとかかんとか生計をたてている。
すごい。でも「すごいでしょ?私たち素敵な暮らししてるでしょ?」という
うぬぼれがぜんぜんない。悩みもたくさんあるんだろけど、
女三人の共同体生活を最大限楽しんでいる。若者のユートピアだ。
名人のおじいさんに昔の話をききこんで、太鼓のリズムを習って、
周りの人に助けられながら地域の住民になっていく。

日曜日までの残った数日間、この3人とおじいさん先生に
いろいろ話を聞いて気をもらって帰りたい。

2009年1月11日日曜日

センチメンタル水族館

水族館はセンチメンタルでロマンチックだ。
人の気持ちを落ち着かせもするし、わくわくもさせる。
で、そういう写真をいっぱい撮ろうとおもって
期待してCOEXの水族館に行ったら間違いだった。
そうか、今日は日曜日だった・・・・
こどもだらけだし、写真のフラッシュそこらじゅうでまたたいてるし、
水槽ガンガンたたいちゃってる子とかいるし・・・
展示も、冷蔵庫や電話ボックスが水槽になってるコーナーとかあってゲンナリ。
水中ショーは何やるかと思ったら人間が水中ででんぐり返しとかする
ショーだった。うーん。水族館のレベルが低いな・・・
連れてってくれた友人には、日本にきたら必ず
もっとましな水族館に連れてってあげると約束した。 
良かった事といえば、普段使わないので全く知らなかった水中の生き物の
韓国語が色々学べた事。たとえば、

日本語  韓国語(読み方)

サメ=  상어(サンゴ)

ワニ=  악어(アゴ)

エイ= 가오리(カオリ)

ヒトデ= 불가사리(プルガサリ)

イソギンチャク= 말미잘(マルミジャル)

タツノオトシゴ= 해마(ヘマ 海馬)

アザラシ=바다표범(パダピョボム 海豹)

カワウソ= 수달(スダル)

ラッコ= 해달(へダル)

動物や魚の名前って覚えようと思わない限り覚えないが、
わりに会話でよく使う。良い勉強になりました。

以下、数少ないセンチメンタル写真館(ちょっと手入れてます)。




きらきらひかるテトラ





くらげ(ヘパリ)




てっぽううお
ピラニア

2009年1月10日土曜日

BO-JA-GI



処女作!!
チョガッポ(ハギレのパッチワーク)。モシという麻の布で作る。

昨日、服飾科の友人が東大門の市場に布のサンプルを
もらいにいくというのでついて行った。アクセサリーのコーナーで
さんざんひっかかりまくって、結構買い物してしまった。
だって安いんだもん。日本だとそのへんで平気で2800円ぐらいで
売ってそうなアクセサリーが何百円で売られているから買っちゃうよね。

夜は彼女の家に泊まって、ウイスキー飲みながらチョガッポ初挑戦。
普段絶対やらない針仕事を、しかも夜中にしたから目と腰が痛い・・・
色の組み合わせひとつで韓国っぽくなったり全然雰囲気でなくなったり
するのは面白いなと思った。上の9色は我ながら良い組み合わせに
なった。つくり途中の右上のは、コチャンのプンムルの衣装の色の組み合わせだ。
なかなか時間ないからこれ以上作品増えるかわからないけど、材料買って
日本でも作ろうかな。なにしろ、適当に自分でデザインを作れるので私向き。

さて、明後日あたりから本格的にソウルにいなくなることになりそうです。

イクサン(益山)というところでプンムルの先生になることを決めた
同い年の友人がいて、そこを訪ねてこようと思う。
その次に青山島に直接行き、そのままコチャンで伝授(合宿)を受けてこようかと。
合宿が終わると旧正月です。
なんかばたばただなあ。まあいいか。

2009年1月8日木曜日

トナヨ、日常を

安心してぬくぬく過ごせるソウル。
電話一本で友達とご飯が食べられ、
インターネットで家族と連絡が取れ、日本のニュースが見られ、
誘われればライブや映画を見に家を飛び出せるソウル。
ずっと居たい気持ちもあるのだが、
反対に、一刻も早く此処から飛び出したい気持ちが
ぐるぐるうずまきながら毎朝目覚めます。
正確には「毎昼目覚めます」だけど。
とにかく、来週は必ずソウルを脱出することが目標です。

今日は「女子」な日だった。
昼、梨大の本屋でプンムルペの友人達と待ち合わせして
女4人でランチに。こぎれいな食堂で
4人で5つ違うものを注文する(店の人は苦笑)
ビビンバ、冷麺、カルグクス(きしめん)、スジェビ(すいとん)、そしてキムチチヂミ。
全部おいしかった。食べながらしゃべり続ける。
コチャンのこととか、サークルの後輩のこととか。

そのあとお茶。カフェでワッフルにモリモリとアイスが乗ったやつを
食べながらコーヒーを飲む。気づくと4時間が経過していた。。。。
5年後のみんなの姿をそれぞれ予想し合った。
10年後は、どうかみんな素敵な家族を築く事ができてるといいね、
といいながら全員が実は(私だけ一人だったらどうしよう!)なんて考えていた(であろう。)
このメンバーとは、どんなキタナイ話も恥ずかしい話もできるので
10年後も会えていたらいいなと思う。

2人帰り、のこった2人で夕飯。食ってしゃべってばっかり。
トゥッペギプルゴギ(野菜と共にスープにはいった牛プルゴギのこと)を食べながら
プルゴギの作り方について二人とも知らないくせにずっと語った。
プルゴギの味付けには、すり下ろした梨が入るので、
日本では冬に作るのは難しいかもしれない。
梨って今頃手に入らないよなあーー。韓国では1年中ある梨とりんご。
やはりご先祖様へのお供え物に使われるだからだろうか。

料理はいかにできるフリをするかが勝負だよねなどと、
まるで適当なことを主張しあいながら食べ終わり、家へ。
よくもまあ、何時間もしゃべってて話が尽きないもんだと自分たちで感心。
国や文化を越えて、女子は女子である。

おすすめ国楽

一回目に魚とそのファミリーと弘大で飲んでいたときに、
となりの部屋にカヤグム(韓国の十二弦筝)の奏者が来ているという
話はきいたのだけど、曲もきいたことないのに挨拶するのも
変かなと思い、そのままそんなことも忘れていた。

日曜日、二度目に飲んだ時にまたそのカヤグム奏者の名前が出て
絶対聞いたほうが良いとすすめられたので、ネットで調べて
CDを買いに行った。

名前はチョン・ミナ。
カヤグムで「セヤセヤ(鳥よ鳥よ)」や「ペンノレ(舟歌)」などの
民謡をポップにアレンジしたり、
「Lullabay of Birdland 」のようなジャズを弾いたりする。

オリジナル曲もかなり良い雰囲気を出している。
アジアというよりどちらかというと北欧のハープの音楽のような、
哀愁をおびたメロディが静かに響く。
それでも、カヤグムのゆれる音はやはり韓国の音である。
歌詞も、映画音楽にもなりそうな世界観をもっている。



チョンミナ
1stメジャーアルバム「相思夢(サンサモン)」
これを聞きながら雪ふるコチャンの畦道や海岸を歩きたい!!
そしてチャンスがあればライブにも行こうと思う。

2009年1月7日水曜日

勝手にソウル博物館振興協会3

今日は国立中央博物館。(地下鉄4号線イチョン駅から徒歩3分)

なんでもいいから古くてきれいなものが見たかった
という、なんとも適当な動機でセレクト。
ちなみに常設展は無料公開中でお徳です。
企画展示は「永遠なる生命の響き、統一新羅の彫刻」という題だった。



展示物の95パーセントは仏像。日本の国立博物館からも
たくさんきていました。仏像マニアにはよだれのたれるような展示なのでしょう。
私はマニアでもないけれど、静かな顔の仏像を拝むのは好き。
心が落ち着く。それにしてもすごい数の仏像だった。これだけよく集めたなあ。
統一新羅は7世紀中半から935年までなので、日本の奈良時代~平安時代中期
ぐらいと考えればいいのかな。そうかんがえるとすごく古い。

仏像の出土地が、訪れた事のある土地だったりすると
「あらあら、ウォンジュ出身でいらっしゃるんですか!
それはどうも!つい数日前に行ってきたんですよ!
あらお宅はプヨですか、じゃあ夏にお会いしてたかもしれないですね~」

と挨拶したくなる気分になる。仏像ってホント人みたい。
展示室では、どこぞのVIPなお坊さんが10人以上の取り巻きとともに
ぞろぞろと見学をしていて、一緒に説明きこうかとおもったけど
あまりに内容が高級すぎて無理だったので遠慮した。
慶州の「石窟庵」がどのように作られたかというCGの再現映像が面白かった。
じつは慶州にまだ行った事がないのは恥ずかしい。
日本で言ったら京都奈良に行った事ないようなもんだ。
今回行けるかわからないけど、近いうちにかならず行かなきゃと思った。

常設展示室は、あいかわらず無駄に広いために足が疲れて最後まで見れない。
もう少しコジンマリ作っても良かったんじゃないかなあと思ってしまう。
それでも、行くたびに違う発見があるのはわるくない。
国宝の半跏思惟像はやっぱりうっとりするほど美しかった。

毎回ここだけは必ずじっくりみていくというのが陶磁器のコーナー。
青磁よりも白磁よりもダントツ粉青沙器が好き。
コミカルで、大胆で、奇抜な絵柄が新しい。ピカソもマティスも顔負けだぜ。



なぜか魚にばかり目がいく私。
盛岡のリンゴ体験からかえってきたときは東京の小物屋で
リンゴモノばかり探した。今度は魚。単純人間です。




ミュージアム ショップで魚のキーチェーンを発見して迷わず即購入!
家から持ってきたジャラジャラなる鈴もつけて、
これで酔っ払っても鍵ナクサナイ!


帰ってきて、三線の練習をしています。
ばしぬとぅいぶし(鷲の鳥節)をやってます。
ネットで動画をひろって、あわせて弾いたりして独学中。
帰ったら先生に教えてもーらお。
そんな一日でした。

ここまでやるか



魚の似顔絵を描いてみた
ついでに前に書いた魚型の錠前とあわせてみた

好きなアーティストや顔の印象の深い友達ができると
どうしても似顔絵を描きたくなる変な欲求があるらしい。
その人の顔を自分なりに認識したいというか自分のモノにするというか。

あーあ、しかし。もうちょっとかっこよく描けばよかった・・・
本人も絵描きなので、見せにくいな・・・

2009年1月5日月曜日

明太

「明太(ミョンテ)」という曲がある。
カン・サネという歌手が作詞作曲して歌っている。
宇宙ヒッピーがカバーしてライブで歌ったのではじめて聞いたのだが
歌詞の内容を聞いて、これぞコリアンブルーズと思った。

明太、つまりスケトウダラは、韓国では象徴的な魚だ。
先祖を祀るチェサの供え物にも用いられるし、
いろんな食べられ方をするうえに、状態によって名前が変わる。
一般的に良く使われるのは

「明太」(ミョンテ)=一般的にスケトウダラのこと
「生太」(センテ)=ナマのもの
「凍太」(トンテ)=ナマを一度冷凍したもの
「黄太」(ファンテ)=冷凍してから乾かしたもの
「プゴ」=干したもの

などなど。地方や季節や成育段階、調理法によって、たくさんの別名がある。
この歌は、北朝鮮なまりの方言でそれを説明する語りがはいっている。
何を言っているのかちょっと(かなり)よくわからない部分もあるが
なにしろ音楽が非常にかっこいい。
歌詞を一部紹介する。

피가 되고 살이 되고 노래 되고 시가 되고
약이 되고 안주 되고 내가 되고 니가 되고

血となり 肉となり 歌となり 詩となり
薬になり 肴になり 俺になり 君になり

그대 너무 아름다워요
그대 너무 부드러워요
그대 너무 맛있어요
감사합니데이

あなたは あまりに美しい
あなたは あまりにやわらかい
あなたは あまりに旨い

ありがとうごぜいます

내장 창란젓은 알은 명란젓 아가미로 만든 아가미젓
눈알은 구워서 술 안주하고 괴기는 국을 끊어 먹고
어느 하나 버릴것없는 명태 
그 기름으로는 또 약용으로도 쓰인데제이요 에

内臓ははらわたの塩辛
卵は明太塩辛
エラで作ったえらの塩辛
目玉は焼いて酒のつまみに 肉はスープで茹でて食べる
ひとつとして捨てるところのない明太
その油ではまた薬用としても使われるってんでありますよ

명태 그 말의 유래중에 조선시대 함경도 명천 지방에 사는
태씨성의 어부가 처음 잡았다 해서리
명천의 명자 태씨성을 딴 태자 명태라고 했데제니
창기 아니왔니
그게 무슨 소리니

明太 その言葉の由来に
朝鮮時代の咸鏡道明川地方に住んでいる
「太」氏の姓をもつ漁師がはじめて釣上げたからといわれる
明川の「明」の字と太氏の姓をとった「太」の字から「明太」と言ったっていうんだす
娼妓じゃなかったのか
それはどういうことなのか

(最後の二行はよく意味がわからないので後で誰かに聞いてみることにします・・・)

ブルージーでスモーキーで
田舎っぽくて土臭い、私の好みの曲です。
宇宙ヒッピーが歌うとこれまたスウィングの横ノリが聞いててかっこいい。
興味があれば、サネさんのライブの動画が見られるので
リンクをチェックしてみてください。
http://blog.naver.com/paxyi3?Redirect=Log&logNo=130006521701

NewYork Fish2

「ニューヨークムルゴギ」のライブに行った。
そう、先日の日記に登場するギターをしょった大男、
「魚」だ。

魚が仲良くしているキムマスターという歌い手が、
いま弘大で「キテル」シンガーソングライターたちを集めた
イベントだった。場所は、弘大の「サンサンマダン(想像の庭?)」。
映画館やイベントスペース、インテリアショップなどが集まった
オシャレな空間だった。場所も気に入ったし、なんといっても
イベントに集まった全8チームのバンド、歌手が全部良かった。
韓国にもこんなイケテル音楽があるということを日本中の音楽ファンに
知らせてあげたい。何しろ、それぞれに違う味はあるのだが
みんな声がよく歌が半端なくうまい。

「スカーフィッシュ」という夫婦デュオは、ブルージーですごく良かった。
細身の普通のお姉さんが、びっくりするほどコブシを効かせたブラックな歌声で歌い、
ギターは思わず「オーイェー!」と叫びたくなる唸りを見せる。しかも歌詞が
純粋な韓国語だというのがとても良いところ。素晴らしいコリアンブルーズここにあり。

こないだも紹介したが「宇宙ヒッピー」は相変わらず最高。
なんともひょうひょうとした、肩の力のぬけた良いバンドだと思う。
日本のインディ界に大推薦したい。

みんな少しずつはMCをしていくのに、
魚は無言でムスッとステージにあがり、無言でギターのチューニングをはじめ、
チューニングがいつまでたっても終わらず、いつ歌がはじまるのかと
みんながヤキモキしているころにいつの間にか歌が始まっちゃう。
歌い終わっても「ありがとう」とか言わない。みんな黙って見ている。
魚のスタイルである。不器用だなあと思う。
それでも、8団体のなかでも間違いなく、ずば抜けて魚が素晴らしい。
歌声にしても、歌詞の世界観にしても、ギターからこぼれ落ちる
魔法のようなメロディにしても、芸術としての完成度が高い。
あとで他のアーティストたちがこうつぶやいてるのを聞いた。

「あの人は、宇宙人だよ・・・何もかも超越してる」

はるかにおっさんぽく見える他のアーティストが魚の事を
「ヒョン(兄貴)」とよんでいるのを聞いて、一体全体、彼は何歳なんだろうと
思って聞きたいような聞きたくないようなだったが、あとでこっそり
別の人に聞いた。私が思ってた年よりも5,6つは上だった。
やっぱり宇宙人に違いない。。。。いや、人間じゃなくて魚なんだった。
魚はやさしい。とてもよくしてくれる親戚のお兄さんみたいだ。
(決してお兄さんと呼べる年齢ではないが・・・)
おかげで、アーティストたちの打ち上げに参加させてもらった。
ずっと好きだった宇宙ヒッピーのメンバーとも一緒にお酒がのめたし
また彼らの行きつけのお店で全羅道の食べ物をお腹いっぱいご馳走になった。
杯をかわしながら、詳しくもないのに日本のインディ事情について自慢したり
今日見たアーティストたちなら日本でも人気が出ると持ち上げたり、
日韓の違いについて色々語り合って、気づけば午前3時だった。
なんてすごいことだろう。私はやっぱり人に会う運が絶対的にあるらしい。
たまたま三線を持っていたのでまたしても下手なくせに2,3曲披露した。
今考えると恥ずかしいが、やったことは間違ってはいないと思う・・・。
みんな盛り上がって聞いてくれた。

伝統文化にはまってから、そればかりが目に入るようになってしまった。

伝統音楽ばっかりが韓国の全てじゃなくて、
そういうものに関心のある人たちが韓国人の全てではない。
むしろごくごく少数派だ。
だけど同じ音楽が好きなひとたち同士、やっぱりどこかで
しっかりつながっていて、同じひとつのもので「オーイェー!」と
笑顔で分かり合えるものだと信じている。
ジャンルを越えても、国を越えても、時代を越えても。

全羅道の木浦出身の料理長が作ってくれた
オリグルジョッ(天然牡蠣の塩辛)をつまみながら、
そんな音楽の広い可能性を確信した夜だった。

2009年1月3日土曜日

韓国の東北とソウルのギリシャ

昨日の夕方、カフェで孤独と退屈の病に見舞われて死に掛けているときに
突然ビガビガっとお告げが降りてきた。東京で一緒に活動してる
プンムルペ「ナグネ」のひとたちが韓国に合宿に来ている事を、思い出したのだ。
電話すると、ソウルではなく江原道ドゥンネとのこと。遠い。どこだかわからん。
すでに時計は4時半を過ぎていた。
だが、やっぱり韓国に来ているならビールの一杯ぐらい交わしたい。
無理を言って、ソウルからそっち方面に行く予定だった知り合いの知り合いに
車に乗せてもらい、3時間半かけてなんとかたどり着く。
ひとりで来ていたらえらい目にあうところだった。感謝。

合宿所はユースホステルで、すばらしい施設だった。
同じプンムルの合宿でも年末に行った学生の合宿とはえらい違いだ・・・。
そして江原道は、ソウルの北東に位置するので寒い。
空気も水もきれい!と肌が感じ取る。
景色もなんとなく日本の田舎みたいだ。
よく行く全羅道の海側の風景とはまた違って、
険しい山間に家がぽつぽつあるのでちょうど日本の東北の方みたいだ。
しかしやはり日本で無いと感じるのは、山間のあちこちにムドム
(墳墓。土がこんもりもられて芝生が植えられてる墓)が見えることかしら。

合宿はソウルの「伝統打楽研究所」の房承煥先生の主催だ。
ナグネだけではなく、先生が関わっている小学生~高校生、学校の先生たちまでが
集まってそれぞれサムルノリやソルチャンゴ、パンクッを勉強していく合宿なのである。
こどもたちは好きでやってるのか親につっこまれたのかは知らないが
練習の合間合間にもはしゃぎまわっていて、大変なエネルギーだ。羨ましい。
大人は練習よりおしゃべりとお酒がメイン・・・かな?
毎夏と冬ごとにやっていて、ナグネの人たちも根気よく通っているので、
何人かのこどもたちや学校の先生たちは、ナグネのメンバーと顔見知りの様子。
夜は少しお酒を飲みました。

ナグネのメンバーたちと話して一緒にサムルを練習し、
久しぶりに日本の親戚の人たちに会ったような
なつかしく暖かい気分になってすっかり体調も治った。
胃痛は孤独のストレスだったのか。

今日は急いでドゥンネの合宿所を出てきて、
ソウルで友達Yの誕生日パーティー。
Yの友人と私と3人で会おうという数日前からの約束だった。
この国の風習では、誕生日はなぜか祝われる本人が驕ることになっているので
ありがたくご馳走になった。
梨大の目の前のギリシャ料理屋で、マスターの講釈を聞きながら
ギリシャのパンにヨーグルトサワークリームを塗って食べる。美味しかった。
とくにホウレン草のパイがおいしかった。また食べたい。
Yはマスターの旅の自慢話を至って煙ったそうに聞いていたが、
私はにこにこ笑いながらへぇとか、おーとか相槌を入れてあげた。



店を出てから
Yに「あのおっさん、お前が日本人だって全然気づいてなかったよ。
すげーな。話、全部聞き取れてんの?」といわれたので
しらっと「全然」といったら爆笑された。私は聞き取れてるふりするのがとてもうまい。
「発展がないから今後は聞き取れなかったら言ったほうが良いのでは」
という助言を頂いたが、余計なお世話である。
聞き取れるふりをして得るものだって実は多いんだ。
とはいえ、まあ、大事なことは聞き返したほうがいいよね。

そのあと、古本屋で3人で小説とか(エロ)ビデオとか日本の漫画とかを
あーでもこーでも言いながら物色し、結局小説を1冊と映画3本買って帰った。
なんとなく、男の子たちがナンチャラカンチャラいいながら
ふざけて遊んでるのに同行するのは、女の子同士の買い物とかとはまた違って面白い。
3人でスキーに行くのもいいかもね、という話をして別れる。

今日は楽しかった。

2009年1月1日木曜日

いちふじにたかさんなすび



適度にゆるく適度に軽く適度に熱い一年に。

いい夢見られるように適当に絵を描きました。
誰が誰だか判別不可能な七福神がポイントです。
(まずい、いまよく数えたら8人いた!!)

昨日夜から今日は友達Yの言うがままに、流される事にきめた。
合宿から帰ってきてぐったりしていたが逝く08年を楽しく送ってやらないと
悪いと思い、Yのススメにしたがって胃薬と苦い漢方薬をぐいっと飲み干し
弘大のライブハウス「パン」に向かった。
超B級なロックバンドのライブを見て、気づいたら09年になっていた。

今日は昼起きて消化に良いようお粥食べて、また胃薬と苦い漢方薬を飲んだ。
大学路に演劇を見に行くというので、また流された。
劇場「魔方陣」で「マリファナ」という演劇をみた。
オールドボーイなんかにも出てるすごく有名な俳優の演技を間近で見れたのは良かった。
時代劇もので、台詞がチンプンカンプンだが、だいたいの内容は
7人の男女の7画関係みたいなもんで、いまいち入り込めなかった。
消化不良のまま、何しようか、という話しになり、流れでポニョを見に行くことになった。

新村の映画館アトレオンでポニョ今日の最終回を見る。
ここ数日で一番面白かった。
日本のものを韓国で見ることになって、損だと感じることは一個もない。
新村で、こっちの友達と日本映画を見て、その感想を言い合うことで
十分価値がある。しかも、面白かった。

さて、明日は何をしよう。

今年は、何をしよう。

他の誰にも出来ない世界が作れたらそれは最高だ。

誰にも譲れないものものをひとつ得られるなら

今まで大事にしていた10のくだらない愛すべきものたちを捨てても構わない。

もちろん痛みは伴うのだけれど。