2009年2月28日土曜日

ついに・・・

昨日は、今回コチャンでであった西道ソリ(民謡)の先生から
電話があって、帰る前に会いましょうということで大学路の
サムゲタン屋に連れてってもらった。韓屋づくりのお店で
すごく素敵な雰囲気だった。店長がイケメン。。。
あとで店紹介します。

夕方はプンムルペの友人たちと新村で飲み会。
ひさびさにあった人も、今回の滞在のあいだにはじめてあった人も
ごちゃごちゃに会った。焼肉食べて、ビール飲んで。
これからもずっとずっと会っていきたい友人達である。
男の子は軍隊に行っちゃうとなかなか会えないので、
あー次来る時は会えないかもな、とも思うことがある。
女の子達だってストレートで卒業してしえば、就職して忙しくて会えないかもしれない。
最後にはみんなで握手してハグして、また来ることを約束した。

今晩帰ります。
これからがはじまりです。
今まで読んでくださった方ありがとうございます。
帰っても文章まとめて載せたりすると思うのでまたチェックしてください。

アンニョン、新村、アンニョン、チング達!

2009年2月26日木曜日

父からのメール

3月7日にICUでギラン先生のかかわる、沖縄音楽のシンポジウムが
あると父からメールがあった。アジア文化研究所の主催だ。
興味のある方はぜひご参加ください。

2009年3月7日(土)
13:20-18:00
国際基督教大学 本部棟206号室
司会・挨拶:Matthew A. Gillan (国際基督教大学)
久万田晋 (沖縄県立芸術大学 ・附属研究所)
沖縄のポピュラ ー音楽と民族アイデンティティの構築 -新民謡から 沖縄ポップへ-

3月の予定はまだあまり入っていないが
頭のなかが相当忙しくなりそうだ。
沖縄のこともがんがんやっていかないとね。

真夜中にふとめざめて

コチャン伝授館の事務室から日記を書くのは
何回目だろうか。昨日は、伝授館のポルムクッだった。
ポルムというのは旧正月1月15日のことで、
満月の夜にあわせていろいろなお祝いや厄除けをするのだが
今年の旧暦1月15日に、先生たちが日本公演に
行ってしまっていたのでその関係で旧暦2月1日である昨日、
伝授館のポルムクッを行ったのだ。
久々にひたすらチャングをたたいた。
農楽保存会のメンバーである地元のおじいさんのリードで
たたいたのだが、今までにない楽しさだった。
専門家の人が来てソッテやチャンスンを立て、そのまわりを
なんどもぐるぐる回りながらみんなで太鼓をたたいた。
太鼓をバチでたたいているのではなく、心の底から音を発しているような
そんな感覚につつまれた。ほんとうに忘れられない。

それから、昨日の早朝、はじめて豚をつぶすのを見た。
豚の断末魔の叫びをはじめて聞いた。解体ショーも見た。
やはり生き物を食べることってスゲー行為だなと思った。
目の前でさばかれた豚の肉で作ったキムチチゲやカルビは格別だった。
焚き火をたいて、焼肉をしながら飲む焼酎は
どこまでも心を開放してくれるすがすがしい味だった。
というわけで気づいたら寝てしまい、じゃなく、気づいたら真っ暗な部屋で目覚め
周りにはごろごろとまぐろがたくさん転がっていたので抜け出してきたのだ。

チャングをたたきながら思ったこと。
2007年3月にここで初めてポルムクッに参加したが
それから早2年が過ぎた。でもたった2年という気もする。
それまでの22年間は一体果たしてなんだったんだろうというぐらい、
コチャンの人たちとの絆は深い。会えないときは夜眠れないほど会いたい人々。
今、2年前とは比べ物にならないほどその絆が深まった。
しかしコチャンにくるといつも感じるわくわくどきどきそわそわ感は
全然変わっていない。ここに来ると心にいつも風が吹いて、
気づくと心が開かれていて、大笑いしたり大泣きしたり大いに酔っ払ったりしている。

白髪にしわだらけで腰が曲がっても、コチャンに好きな人たちがいる限り、
来続けると思う。今後、日本で家庭を築くことになったら
自分の田舎のように年に数回は家族をつれてコチャンに来たい。
親戚のおばちゃんおじちゃんのようにここの先生たちや地元の人たちに
こどもを見せたり、かわいがってもらったりしたい。
そんな夢を心に秘めて、ここを出ます。

ふりむくと涙が出るから、わざと冷たくそっけなく去るんだ。
さらばコチャン。

2009年2月24日火曜日

仁寺洞マッコリ万歳ツアー

バイトしてた韓国料理屋に「飲み比べマッコリ」という
メニューがあって、超小さいショットグラスに3種類のマッコリをついで
出すというとてつもなくケチなアイディアなんだがこれが結構人気があった。
日本人はこういうのに価値を感じやすいらしい(悪く言えばだまされやすいのかも)
韓国人が見たら怒りすら覚えるかも知れない。笑

昨日はその拡大バージョンで、
長山島の打ち上げで、モ先生とその仲間たちとともに
仁寺洞マッコリツアーをした。別に意図的にツアーしようとしたわけではなく、
行く店行く店「あと2時間で閉店ですが」と言われながら移動し続けた結果、
5軒はしごするはめになったのだった。せっかくだからマッコリを注文しようということで
ずっとマッコリを飲み続けた。

つまみ一覧

1軒目はすいとん屋。牡蠣パジョン(チヂミ)にスジェビ(すいとん)
2軒目は全羅道食堂。ホンオを食べる。
ホンオはエイの刺身のくさや?みたいなもので、
何日間も放置して発酵させる。アンモニア臭がすごい。
全羅道では祭りにこれが出ないとはじまらない。私は食べられるけど
食べられない人は多そうだ。
3軒目は、ホンオと対照的に慶尚道の食卓によく上がるというクァメギ。
ニシンやサンマの干物。日本人にも受けそうだ。
4軒目はトッポッキ。あんまりおいしくなかった。
5軒目はポジャンマチャといって、道端にテントを張って出している
屋台の飲み屋。牡蠣、貝類をつまみながら、もうほとんど死にかけていた。
そしてぐだぐだと夜が明けていくのでありました・・・

1月2月はほとんどモ先生と一緒に旅していたような気がする。
ありとあらゆることを語った。学問の先輩として、芸の道を極める師匠として、
コチャンの家族の一員として、多くの話題を分け合える友人として、
頼れるお兄さんとして、これからもずっとずっとギブ&テイクしていきたい
すばらしい人物である。出会いに感謝。

これから再びコチャンに向かいます。
最終目的地はやはり我がふるさとコチャン。
旧正月の時に先生たちが日本公演で不在だったため、
明日ソッテとチャンスンを立てるんだそうだ。
ソッテとは、細く高く伸びた木の柱の先にシンプルな水鳥の形の彫刻を乗っけたもので、
昔は村々の入り口に立てたんだそうだ。造形物としてすっきりしていてかっこいい。
水鳥が神の使いであり、火事を防いでくれるという意味あいがあるといわれている。
チャンスンは木の幹を丸ごと使って顔を掘った韓国のトーテムポールで、
これもやはり村の境目に立てられ、その村の守護神として祀られていた。
伝授館の入り口にもこれを立て、みんなで太鼓を叩いて
一年の安全と繁栄を祈願する。大事な行事だ。

旅の締めくくりにぴったりだ。
さあ、かばんをしょって出かけよう。

2009年2月21日土曜日

まぶしい冬空の太陽、そして海風

韓半島の地図を見ると、左下のほうにグジャグジャっと島がいっぱい散らばっている。
それが、全羅南道新安郡だ。
今回の旅の目的地は新安郡の島々のひとつ、長山島(チャンサンド)。
木浦から船で40分。極寒の甲板で缶ビールに辛ラーメンをすすりながら行く。

「情」の国、韓国に住んだり通ったりすること3年が経つが、
長山島のおばちゃんたちほどに情の厚い人たちは初めてだ。
昨日島を出てきたばかりだが、おばちゃんたちのことを思うと涙が出てくる。
家に泊めさせてくれたおばちゃんを「オンマ」(母さん)、オンマの親友であり、
巫女である近所のおばちゃんを「イモ」(叔母さん)と呼ぶことにした。

こてっこての全羅南道のなまりで「アーーッタ、オメー、コシギモシギ、クラージェ!」の嵐、
会話は6割ぐらいしか聞き取れないが心が通い合えばそんなことは問題にすらならない。
オンマが作ってくれる南道の食事は、最高においしかった。
種類が豊富な海鮮類に、畑でとってきた新鮮な野菜、そして出来立ての豆腐!朝出来立てホカホカの豆腐で作ったスンドゥブチゲは、世界で一番美味しいと思った。
最後の夜は、同じ布団をかぶってオンマと色んなことを語り合った。
出会って数日とは思えないこのやさしさ。
しかも日本人の私にそこまでしてくれるというこのありがたさ。
涙が出ます。


さてはて、昨日夕方、1週間の旅を終えて帰ってきたのだが
頼りにしていた新村近辺の友人たちは皆事情により
家に泊めてあげられないとのことで、引き払ったはずの下宿のおばちゃんを
拝み倒して2日間だけ空き部屋に居させてもらえることになった。
チムジルバン生活になるかと思ったがなんとかなった・・・
ずうずうしさは我が友、我が武器である。わはは。

韓国での長い放浪の旅もあと一週間で終わろうとしています。
2ヵ月半もいたのに会えなかった人だらけで残念。
でも、今回の旅は本当に新しい人たちや新しい土地との出会いの連続でした。

12月はソウルでぶらぶらしながら良質インディバンドのバンドマンたちに
たくさん出会えたし、1月はイクサン、コチャンのプンムル合宿でいっぱい
太鼓叩いたし、蝟島では船送りの行事をしっかり見たし、
2月は霊光でまた太鼓叩いて先生と語り合い、
なんといっても済州島が最高に楽しかった。
めちゃめちゃいっぱい酒飲みながらはちゃめちゃに楽しい日々をすごした。
そして長山島。以上旅のハイライトでした。

帰る前にコチャンで行事があるので参加してから28日に帰ります。
コチャンはやはり私のなかで、ゆるがない心のふるさと。
旅の最後を締めくくるのがコチャンというのはとても安定感がある。

いつか、こうして韓国でもらった多くの情にお礼をするときがやってくると思う。
まだどうやって返したら良いかよくわからない。
今回の旅で世話になった全てのひとに
ありがとうと叫びたい!あいしてるぜと叫びたい!

さて、問題はこのたびをいかに整理するか、帰ってからが勝負なのであります。
資料、本もドッサリダンボール箱に2箱手に入れてしまったので
端からひっくり返して読まなきゃいけない。

3月、相当忙しくなりそうです。

2009年2月15日日曜日

怒涛の週末

金曜夜にソウルに戻り、下宿の部屋の整理に追われた。
いや、正確にいうならば整理しなければならないという義務感に
かられながらも疲れと面倒くささに負けてほとんど手は動かしていなかった。

土曜日昼、中央大学(チュンアンデ)の音楽学の権威である教授に会いに行った。
先生の研究所は地下鉄1号線のはじーーーっこの方で、ひたすら遠かった。
いろいろためになるお話は聞けたものの、ものすごく高いところにいる人と
いった感じがして、仲良くなりたいとは思えなかった。学問をするにあたって
今後こういうことはよくあるのだろうが・・・

午後、新村に戻ってやるべき仕事を1時間以内に4つもこなした。
まず教授様にお借りした資料をコピー。
ここはコンビニにコピー機が無い国なので、コピー屋さんを
探さなければならないので苦労した。
そして外付けハードを買いに奔走。新村は便利そうな町に見えて
そういうものは全く売っていないということが判明した。
それから、飛行機の予約。土曜日は休みという旅行社が多く、全然
電話がつながらないのでネット予約した。外国人はインターネットサービスに
会員加入できないケースが多い。友達の名前と住民登録番号を借りた。
それから、ごったがえすデパートに突入してチョコレートを買った。
ああ、疲れた。

夜は、建国大学(通称コンデ)の近くにある社会人プンムルペ、「ウルリョク」の
練習室に遊びに行った。霊光で知り合ったオッパがそこで講師をやっているので
会いに行ったのだ。図らずも14日に約束をしてしまったのでチョコレートを
手に登場しなければならず、こっぱずかしくて仕方なかった。

死ぬほど人が多い、いやカップルが多いショッピングモールをちょっとぶらぶらしてから、
人気のスンデ屋に行きスンデクッを食べる。なんとそのスンデ屋の
地下がウルリョクの練習室だった。練習室のパソコンでキムドンオン先生の
ソルチャングの動画を見た。キムドンオン先生とは全羅道タミャンで活動している
チャングの技能保有者のおじいさん先生で、ソルチャングがめっちゃかっこいい。
霊光ではこの先生のソルチャングを伝承している。動画を見ながら先生の
キュートさに思わずニヤニヤ。 オッパは、いつか自分も自分だけのソルチャングを
つくり、後世に名を残す名人になりたいんだと野望を語っていた。

その後20分ほど電車に乗って、
オッパが通っていたソウル産業大学に遊びに行った。
産業大のプンムルペの人たちも集まって、みんなでマッコリを飲んだ。
産業大は明らかに男子が多い。したがってよく飲みよく食べる。二次会の時点で
ほとんど記憶がなくなって、気づけば終電は終わっており・・・・

プンムルペの部室に移動してピザにビール。ああ、美しき学生生活。
酔っ払ってみんなで太鼓を叩き始め、チルチェだサンドサムルノリだ
霊光パンクッだとか言って全然かみ合わないカオスなリズムを叩き続け、疲れ果て、寝た。
今朝6時に目覚めたらなぜかウルリョクの練習室に戻っていた。

外に出ると、うっすら雪が積もっていた。道理で寒いと思った。
オッパは今日これから大学の後輩とソゲティングらしい・・・
※ソゲティング(紹介ING)とは、友達や知人の紹介で男女が一日デートしてみて
付き合うかどうか決めるという行事。

私はといえば、心のどこかにちょっぴりせつない思いをかかえたまま
これから11時までの間に死ぬ気で部屋をかたづけて
1時には荷物をまとめて出なければならない。
5時までに全羅道に南下する予定なのだ。
ほぼ不可能である。いや、やれる。I CAN DO IT!

2009年2月12日木曜日

春の嵐

ここ全北地方では、昨晩は霧に覆われ10メートル先も見えない夜だったが
今日は砂嵐が吹き荒れて気温はだいぶ上がって5月ぐらいの陽気。
外にかかっている鉄製の風鈴が落っこちそうなぐらい激しく鳴っている。

今日は比較的早く起きて伝授館を出て、全州まで行ってきた。
コチャンから全州は市外高速バスに乗って1時間強。
全北大学で農楽や民俗劇を研究しているキム・イクドゥ教授に会ってきた。
この先生とは一度是非会いたいと思っていたら、
旧正月に行った蝟島でばったり会って(写真で顔をよく見ていたのですぐわかった)
時間があれば必ず大学に訪ねに行くと約束したので、今回その約束を果たしてきた。
つくづく私は人との出会いに関して運がずば抜けて良いようだ。

民俗劇や民俗ノリを研究するにあたって、
西洋の演劇史や演劇に関する哲学も学ばないといけないなあと
先生の話を聞いて実感した。修士の間にやることは死ぬほど多い。

済州島での出来事について昨日の補足をば。

1、男社堂研究の始祖、唯一の大家といえる
沈雨晟(シム・ウソン)先生に会えたこと。
写真の顔から勝手にむずかしい人だと思っていたけど、
やさしいおじいちゃん先生だった。6月に日本で一人芝居やるそうだ。
絶対に見に行こうと思う。

2、役者であり、済州の巫俗に深く関わってもいる
オ・ヨンスン先生との出会い。先生の一人芝居を見たこと。
産神ハルモニといって、子供の誕生を決める神様がいるのだが
その神様がどのように神様になったかという内容だった。
子供を産むってどういうことなのか、その神聖な意味を考えさせらる劇だった。

3、済州民俗博物館のチン・ソンギ先生との出会い。
長年ひとりで済州の大事な古いものを守り続けた番人のようなおじいさん先生。
詩人でもある。著作を何冊か購入してきたので早く帰って読みたい。

4、済州大の若手民俗研究者ソンジョンヒさんとの出会い。
済州島の巫堂である「シンバン」を追いかけて昼夜を問わず島を駆け回る。
パワフルかつシャープかつシニカルな姉貴。これからものすごく頼りになりそうな人物。

5、なんといっても済州島のうまいものを食い尽くしてきたこと。
写真入りで自慢の日記書きます。ぐへへ

たったいま、吹き荒れる嵐とともに
日本に公演に行ったコチャン農楽チームの一員が帰ってきた。
疲れてそうだけど日本の話いろいろ聞くぞ。

2009年2月11日水曜日

ごぶさたしております

霊光右道農楽伝授館から、バスに乗って光州へ、そして
光州空港から済州島に飛び、四泊五日の夢の宴を終えて帰ってきた。

蝟島での出来事も霊光での学びも整理できないまま済州の旅も
終わってしまった。宿題はつもるばかりであります。

済州の旅は、一言で言えば「いかに酒を旨く飲むか」を極めた旅だった。
計画当初の目的は、立春、テボルム(旧暦の満月の日)周辺に
各村々で行われるクッを見に行くことだった。
神聖な祭儀であるクッは朝5時、6時といった早い時間から行われる。
したがって、夜中まで酒を飲んでいると、見に行くのは人間的に不可能である。
一緒に過ごすメンバーからして無理であった。笑

蝟島に一緒に行った民謡、童謡の研究者であり作曲家でもあるモ先生、
晋州で小学校の先生をしていて、民謡も上手いクォン先生、
そして済州島で迎えてくれる人々は、皆それぞれ「よく食べよく飲みよく遊ぶ」
「広大(クァンデ)気質」の人々である。広大とは、韓国の芸能者のことで
楽器、歌、踊り、芝居、道化などを見せて僅かな金を稼ぎながら放浪していた
人々である。そういった芸人の気質を持ち合わせた現代人もいるということであって
実際芸人として暮らしているわけではない。それぞれ教育に関わる仕事をしている。

そんな人々が集まって、旅をしながら田舎の年寄りたちに昔の歌を尋ねる。
おばあさんたちの心の中にだけ存在する、消えかかった歌を記録に残す。
そしていずれその歌を、子供たちに伝えていく。全国でそういう活動をしている。
情熱あふれる仲間たちである。

会えば飲みながら歌って踊り、うまいものをひたすら食べ、
楽器片手にカラオケルームにこもって機械を放ったまま4時間も遊べる人々。
楽器さえ、要らないときもある。スプーンと瓶さえあれば歌があふれるように出てくる。
それも、歌詞がその場で作られた即興のものであるときが多い。
酔っているので内容はたいていどうしようもないが、
その遊び方自体が昔の芸能者のようですごい。

朝5時まで一緒に居ても、話の尽きない仲間たち。
遠いところにいるときも、いつも頭の片隅にこの人々がいるのだと、それぞれが認める。

というわけで、彼らと遊ぶ時間の方が大事だったりして、まともな伝統行事を
ひとつも見られなかったというのはスポンサーである父には内緒である。

彼ら以外にも、大事な出会いがいくつかあった。
今日中に第二部としてアップします。
急に太鼓が叩きたくなってきたので、練習後にまた。

2009年2月3日火曜日

霊光で健康を考える

ここ霊光右道農楽伝授館は、霊光の市内(邑内)にある。
田舎には違いないが、それでも町のなかにある伝授館というのは
新鮮だ。コチャンの伝授館は田んぼ畑のど真ん中にあり、
廃校になった小学校を利用した建物がドーンとひとつあるのみで、
まわりには本当に何もない。
ここは、目の前にコンビニもあるし飲み屋もあって不思議。便利ではある。
畦道に沈むコチャンの夕日が恋しくなる事もあるけど、
町のなかの伝授館もなかなか良い。

先生は二人。保存会のサンスェ(リーダー)であり
伝授館の館長である先生と、お連れ合いが二人でやっている。
娘さんがまだ小さくて、ヨチヨチ歩きで伝授館をかけまわっている。
笑顔がスーパーかわいい。
伝授館では、プンムル以外にも剣道やヨガの授業もやっていて、
地域のおじさんおばさん、こどもたちが出入りしている。

先生は、授業中にいろいろためになる話をしてくださる。
体の健康のこと、プンムルの精神、人生のヒントなどなど・・・・
去年の夏にはじめて会ったときは寡黙で気難しい人と思っていたが
全然そんなことなかった。温かみのある人である。

プンムル人といえば、浴びるように酒を飲み
よく食べよく戯れよく働き、猛烈に汗だくになって一生懸命跳びはね、
踊りくるい、仕舞いにはぶっ倒れる・・・みたいな人間が多いと思っていた。
俗世の楽しみを120%満喫するような生き方。
私はそれがプンムルの美学だと思っていたし、今も多少は思っているが
違った考えた方の人に出会って少しずつ変わり始めている。
益山で田舎暮らしをはじめた友人たちも肉とスナック菓子とたばこをやめた。
お酒はちょっとだけ楽しむ程度。彼女たち曰く、
汚れた体からは、澄んだ音や美しい舞は生まれないらしい。
ここ霊光の先生からも今日名言が出た。

「本当に酒を上手にたしなむ人とはどんな人か?
たくさん飲んでひっくりかえっても翌日にひっぱらない、
そういう人が上手い酒飲みとはいえない。
一杯だけ飲んで良い気分になって酔っ払える人が一番幸せな酒飲みだ。」

先生もお酒はそれなりに飲むようだが健康を考えての一言だろう。
あんまり韓国人っぽくないような気がするが、なるほど鋭い見解だと思う。
そういう点ではコチャンやソウルの某Sプンムルペとは天と地の差である。
祭りや公演のときに、ちょこっと酒の力を借りれば
音に勢いが出ることは間違いないし、(飲みすぎると全く使い物にならない。経験済)
徹夜でバカ騒ぎの打ち上げみたいなのもあっていいと思う。
いや、私はむしろそういうのがないといきていけない。
だって楽しいんだもの。
でも長い目で見たとき、やっぱり体を整えるのって大事だし、
体に嘘をついていると人間はまっすぐに生きていけない。
若くても、健康のこと考えてる人って素敵な気がする。

ここのところ練習でひどく膝を痛めてしまった。
病院にもいった。そもそもO脚で、膝の関節に負担がかかりやすいらしい。
レントゲンの写真で、骨と骨がつながっている部分が真っ白に磨耗していた。
まずはプンムルやら踊りやら農作業どころではない。
普段から膝へのリスクを減らす根本的な生活習慣改革が必要になりそうだ。
どうせ死ぬなら100までしっかり食べて踊って太鼓たたいて楽しく暮らさなきゃ!

膝のせいでまともに授業中に体を使う事ができずに
はがゆい思いをするはめになっているけど、そのおかげで
色々な事を考えるようになった。体がだめならしばらくは頭を使おう。

題名も内容もひどく老人じみている今日の日記でした。笑

2009年2月1日日曜日

殺人的日程・・・

蝟島からソウルに戻るのにコチャンを経由したら、思わず長居してしまった。
昨日の朝、伝授館をでてチャン邑内の整形外科で膝のレントゲンをとって、
異常はないけどこれからプンムルはなるべく控えなさいと言われてしまう。
関節に負担がかかって骨が白っぽく疲弊していた。がーん。

痛い足をひきずったままバスに乗り込み、夕方ソウルについたとおもったら
そのまま新村でコチャン合宿の打ち上げ。
マッコリだビールだソジュだ、肉だチヂミだ、
途中でコチャンの先生がサプライズで登場するわ、
あれあれというまに午前3時。家に帰って死んだように眠った。

今朝は9時に起きて大急ぎで洗濯をまわし、写真の整理をした。
朝ごはんを食べて、コインランドリーに乾燥機回しに行き、
荷物をまとめて、午後2時半に家を出る。
ばかみたいだけど、また今日はコチャンの隣の町、霊光(ヨングァン)に
来ている。なんでコチャンから直接行かなかったかって・・・・
飲み会のためと、お金がなくなったためと、写真の整理と、洗濯・・・。
てんやわんやで落ち着きもせずまた旅に出るのだが、
たったの一晩とはいえ、下宿とはいえ、
私だけの空間、我が家で過ごすと少しは落ち着くものである。

今は霊光の伝授館。ここはコチャンより小規模で、先生も一人。
学生も全部で15人程度で、こじんまりと楽しくやるかんじで悪くない。
ここの師匠も、温かみのある人。前に来た時はちょっと
怖いイメージだったが、そんなこともなさそうだ。
子供が小さいので親バカなパパでもある。
剣道の先生でもあり、茶道もやっていたりする芸能者だ。
明日から楽器の練習がはじまるのでとても楽しみ。
隣の地域であるコチャンとの違いと、
ここだけのプンムルの味を探せたらいいなと思う。

金曜の昼までここで伝授合宿を受けて、夕方には済州へ移動。
なんだか中途半端でもったいないが、回遊魚の放浪旅人は、
別れに感傷的にならないように心をコントロールしなきゃならない。

ああ、韓国のどこかに私を待ってる人がいる。

なんつって。
ここでもせいいっぱいたくさんの事を吸収して行きたいと思う。