2009年1月29日木曜日

ハリネズミ島で会いましょう

コチャン伝授館からふたたびこんばんは。

重要無形文化財、蝟島(ウィド)ティベンノリを見てきました。
蝟島はコチャンの隣の扶安郡に属していて、扶安からコチャンは
車で1時間ほどなのでここに寝に来ました。ホームスイートホーム・コチャン。

ティベンノリは、「韓国マウルクッ研究」という本で知って以来
かならず行ってみたいと思っていた。
村の守護神に村の一年の安泰と漁業の繁栄を願う部分では
儒教的な祝祭の雰囲気もあり、巫女が出てきて歌や踊りを踊って大きな役割を
果たしもする。農楽ももちろん重要な位置を占める。
最後のクライマックスでは茅で作った船を海に流すという
具体的な行為でもって村の人々が一体になって盛り上がる。
とても統合的で韓国のマウルクッ(村祭り)初心者にもわかりやすい行事だった。
内部の事情はいろいろあるにしても、一般客としては十分楽しめた。

一緒に行ったメンバーがまたすごい。
1、前にも日記に出てきた、民謡研究者のモ先生。
各地の童謡を調べて全国を駆けまわっている放浪の学者。
歌のレパートリーがはんぱなし。チャングの伴奏もはんぱなし。
人の遊び心をひっぱり出す天才である。

2、コチャンで出会ったテグム(横笛)奏者チョン先生。木浦出身。
テグム暦19年、29歳。今は芸術高校の先生をやってる。
巫堂クッにも大いに関心があり、話があうので今回誘って一緒に行くことになった。

3、やはりまたまたコチャンであった民謡の歌手、オ先生。
パンソリの発信地であるコチャンの出身でありながら、
若い頃にソウルに引っ越した関係で、20歳のとき
西道ソリ(北朝鮮の民謡)に惹かれてそちらの道に入ったという。

よく考えたら私以外全員が全羅道出身の芸術家たち。
私ももっと何かひとつこれだ、といえる芸を持っていればなあ。

ビギンの「竹富島で会いましょう」という曲をちょうど最近練習しているので
「ハリネズミ島(蝟島の蝟は針鼠という意味らしい)で会いましょう」に改題して
歌詞を考えてみようかしらと考え中。明日ソウルに帰るバスでどうせ暇だから考えよう。

島で起こったさまざまな笑える出来事と、祭りの内容は
ソウルに帰ってから写真をまじえてお伝えします。お楽しみに。

2009年1月26日月曜日

あけまして・・・

本日は旧暦の正月1日です。

あけましておめでとうございます。

セヘポクマニパドゥセヨ。


本来の予定ならば友人の田舎の家でおじさんたちと
お酒飲みながら三線弾いてた!はずだったんだけど
事情によりソウルに戻ってきて、
13人の学生が全員去り静まり返った下宿で過ごした。
昼過ぎにおばさんと息子家族がチェサから帰ってきて
チェサで残った食べ物を山盛り持って来てくれた。

昼から過食・・・!カルビ、ポッサム、キムチチゲ、豆ご飯、
チヂミ系のさまざまな焼き物、チャプチェ山盛り、
そしてデザートに餅餅餅、りんご、みかん、梨・・・・・・
も・・・もう食べられまひぇん・・・。
いつもは人の声がしてる裏の教会や幼稚園からも、物音ひとつ
聞こえてこない。道路にも車が少ない。これがソウルの旧正月です。

明日からはふたたび全羅道へと南下し、
全羅北道扶安郡、蝟島(ウィド)という島に海の祭を見に行きます。
蝟島の蝟は、どんな意味だろう、何かの虫だろうかと思って
漢和辞典をしらべたらなんとハリネズミだそうで。
島のかたちがハリネズミに似ているところから来ている名前だそうだ。


見に行く行事はティベンノリという。 (띠뱃놀이)
これがいかにもうちのアボジの好きそうな行事。

厄を集めたわら人形を茅の船に乗せて海に流す、豊漁祈願の祭儀です。
はじめて本格的にこういった行事を見に行くのでいまからわくわく。
しかも島は済州以外では初めて。ハリネズミ島報告書にこうご期待。
しっかり取材して父っつぁんに自慢するぞ。

2009年1月25日日曜日

心を鍛える1週間

イクサン聖堂浦の合宿所からコチャンへ移動し、
コチャン伝授館で1週間の練習合宿を受けてきた。
イクサンの合宿にくらべ、立って楽器をしばって練習することが多いのと、
酒文化がハードなのはわかってはいたがやっぱりハードだった。
でも、奇跡的にお腹も痛くならず風邪もひかずに一週間を過ごした。
イクサンの友人たちに、体の大切さをたくさん学んだからかもしれない。

コチャンではやはりチャングを習った。
チャング班は、小学生のチビども5人に、
はじめてプンムルを習う大人2人に、
ソウルからの大学生3人に、
前週からひきつづき残っている大学生3人という
よく言えばバラエティーに富んだ、悪く言えば、
なんとも授業の舵取りをしにくいごちゃごちゃメンバーだった。

担当の先生は、コチャンで私が一番だいすきな
ソンス師匠。過度の熱血漢でおっきくてギターと歌のうまいイケメン。
一番信頼している師匠なので、助けになれればと思い
チャング班の班長になることにした。
しかし。師匠は初日の午前から殺人的な進度で授業をすすめ、
ソルチャング(チャングだけで見せる個人技)のカラク(リズム)を
たった3時間で最初から最後までやってしまった。
ついていける人はついていけるが、はじめての人にとっては
無茶苦茶な授業であった。それに関して大人の生徒と喧嘩になり、
師匠はチャングの撥を叩きつけて部屋を出て行ってしまった。

子供たちはその間サボってMP3で映画を見始め、
年長の子を捕まえて私が本気で叱ったらその子が号泣して宿舎にひきこもってしまい、
ひっちゃかめっちゃかであった。個人攻撃したのが問題だったようで、
その年長の子に、「オンニは冷たくて最低な班長だ、みんなそう思っている」と
さんざんやり込められて、誰が悪いのかだんだんわからなくなる。
韓国語の授業で、子供を上手に叱るシチュエーションの練習なんかしなかったぜ。
誰か教えてくれ。誰かどうにかしてくれ。どうにでもなれ。

と、初日からお先真っ暗であった。どうするカナリ班長!と思っていたら
午後の授業のときに師匠が突然ビールとジュースとお菓子をどっさり買って来て
みんなで話をしよう、というのである。さすがは心の師匠。
どこまでもあなたについていきます・・・・!
班長、ビールをがぶがぶ飲んで一生懸命明るい雰囲気をつくり、
師匠と喧嘩した大人の生徒ともいっぱい話してもつれた関係を解き、
子供達ともなんとか仲直りした。

2日目から真剣にチャングを叩いて走って走って
足がつっぱってまともに歩けなくなってもまた走った。
飲んで飲んで走って走って。食って食って走って走って。

そして昨日は最後の発表会だったのだが、結局サンチャング(チャングの頭)になった。
年齢差も身長差もはんぱない13人が横に2列に並んでソルチャングをやるのは
かなりきびしい条件だったが、順番どおりすっとばさずに最後までやれたので
わりと満足である。実はリハ練習の時の方が断然楽しかったしうまくいった。
走ってる間に、自分が風に乗ってるようなあの感覚。
師匠にあの回を見せられなかったのは残念である。でも、サンチャングとして
一番先頭で走って、後のみんなが楽しそうに踊ってくれた、それだけで十分。
サンチャングとして、チャングチェビ(奏者)としてはこれから勉強することが山積みだけど、
思いがけず精神的に鍛えられて伸びた自分を感じた1週間でした。
下手くそでも変でも信用を得られなくても、最低な人間と叫ばれても、笑
めげずにこれからもはしります。

師匠、これからも、もっともっといっぱい教えてください。と心でつぶやきながら、
白い風にびゅーびゅーと雪がふぶくコチャンを後にしたのであった。

2009年1月17日土曜日

錦河聖浦での最後の夜

錦河沿いの村、聖堂浦(ソンダンポ)でのステイが終わろうとしている。
一週間、よく食べよく眠りよくしゃべりよく練習した。

12日月曜日から伝授館で左道農楽の合宿がはじまった。
おじいさん先生の弟子四人を中心に、
小学生から高校生まで13人のメンバーで行われた。
農業などで自活しながら共同体生活をしている学校の生徒たちが
ほとんどで、みんな素直でいい子たちだった。
(大人の言うことは本当に聞かないけど。)

木、金曜日には、弟子たちが公演の出前で
全羅南道ポソンという町に行くことになり、
9人乗りのバンに13人乗って全員で向かった。
正農会という、クリスチャン系の有機農農家の集まりがあるのだが
そこの定期研修合宿の打ち上げに呼ばれたのである。
というのも、弟子の一人の両親がそこの古株会員で、
彼女の家は昔から有機栽培でなんでも育てて食堂をやっている。
昔ながらの韓屋(古民家)に住んでいて、外国からの
客もよく泊めたりするらしい。とにかく食べ物にうるさいうちである。
そういうわけで、みんな親戚のおばちゃんおじちゃんのように
彼女たちをよく知っているのであった。

突然私も一緒に公演することになった。
衣装に着替えて、コチャンのソゴチュムを踊った。
(小さい太鼓を手に持って踊る踊りで、
私がずっと習っている地域のもの。)
久しぶりだったけどやっぱり楽しいものである。
弟子の一人と一緒にやったのだが、やっぱり彼女の方が
百倍上手いので観客の視線がそっちに集まってて
ちょっとせつなかった。笑 いやいや、楽しかったからいいさ。

次の日には、正農会のメンバーのおじさんたちと一緒に
韓半島最南端の町、全羅南道ヘナム(海南)をまわって帰ることになる。
ポソンからヘナムまで行く間の風景は、いかにも
「南道!」という感じで、あたたかい太陽の光にかれたススキが
さわさわと輝いていて、そのうち遠くに海が見えてきたときは、
本当に心にいい風が吹くような気分だった。

ヘナムでは、超豪華な海鮮ナベ(ヘムルタン)を食べた。
イカ・エビ・貝類いろいろ、あわび、さざえ、テナガダコ(生きたまま)
などなどがグツグツ煮え立つ上に、新鮮なニラとモヤシをわっさと
乗っけて真っ赤なスープをぶっかける。最高。サイクー。
全羅道ではよくおかずで登場する「メセンギ」という海草に最近
めちゃめちゃはまっている。たぶんアオサノリ系だと思われる。
ごはんたべて、最南端の海岸に行ってみんなで海をながめた。
やっぱり海は広いな大きいなきれいだな。
流木のスケッチとか貝拾いとかしちゃったりなんかして、
冬の海を十二分に堪能した。

9人乗りバンに13人+太鼓、荷物×(海南から伝授館のある益山まで6時間)
はなかなか厳しいものがあり、足腰が痛くなるわ
子供たちはぎゃーぎゃー大騒ぎするわ、大変だったけど
2日間の旅行でみんな仲良くなったような気がする。

伝授館に帰って、金曜の夜のみんなでの練習は熱かった。
2日ぶりに太鼓をたたくからか、こどもたちもやる気だった。

土曜日、木浦大学で民俗学の研究をしている博士課程の人が
おじいさん先生にインタビューに来た。しめしめすばらしくいいチャンスである。
おじいさんの言葉は日本で言ったら津軽弁のようなもので
ソウルの人でもなかなか聞き取れない。もちろん私は10%もわからない。
でも、その研究者の質問が研究者らしくとても的を得ているいい質問だったので
おじいさんの答えも聞こえてくるようだった。
昔、ここ聖堂浦は全羅北道から税金が集まってくる町で、いかに
豊かだったかということ、船や人々がいったり来たりするため、
文化がいかに洗練されていたかということ、農楽がいかに盛んだったかということ。
昔おこなわれていた神聖な祈りの儀式のこと。
おじいさんがどうやってチャングをたたくようになったかということ。
いろいろ聞けてとてもいい勉強になった。
その内容はいずれ整理してまたここに載せます。

午後は最後の練習。
ソルチャング(プンムルの中で、チャングだけが叩く個人技。)
のカラク(リズム)も習ったが、ほかの地域よりも複雑で面白い気がする。
味があるといったらいいか。上手く叩けば、観衆がみんな踊りだしそうな
素敵なリズムがいっぱい詰まっている。また来て習いたいと思う。

なによりもおじいさんの魅力と、
弟子である友人三人の持っている夢、希望に満ちた新しい生活に
とてもとてもいい感じを受けた。
三人は、私にもここに来て住めと言っている。笑


それもまたいいかもしれない、なあ。

2009年1月14日水曜日

イクサンの星降る古家で

太鼓たたきの友人が3人で田舎暮らしをはじめた。
ここは益山市、聖堂面、聖堂里。
西海岸に面した、クムガン(錦河)沿いの村である。
昔は全羅北道の税金のすべてがここに集められたという。
集められた米や農産物、水産物を載せた船がここから出たり入ったり
していたという。その船の航海の安全を祈って農楽が盛んに行われたという。

友達3人は古い空き家にすんで、
農楽伝授館でおじいさん先生に太鼓を習って暮らしている。
近所のおじさんおばさんたち、故郷の家族に助けてもらいながらも
一生懸命生活している。太鼓の公演やこどもやお年寄への授業を
担当しながら、なんとかかんとか生計をたてている。
すごい。でも「すごいでしょ?私たち素敵な暮らししてるでしょ?」という
うぬぼれがぜんぜんない。悩みもたくさんあるんだろけど、
女三人の共同体生活を最大限楽しんでいる。若者のユートピアだ。
名人のおじいさんに昔の話をききこんで、太鼓のリズムを習って、
周りの人に助けられながら地域の住民になっていく。

日曜日までの残った数日間、この3人とおじいさん先生に
いろいろ話を聞いて気をもらって帰りたい。

2009年1月11日日曜日

センチメンタル水族館

水族館はセンチメンタルでロマンチックだ。
人の気持ちを落ち着かせもするし、わくわくもさせる。
で、そういう写真をいっぱい撮ろうとおもって
期待してCOEXの水族館に行ったら間違いだった。
そうか、今日は日曜日だった・・・・
こどもだらけだし、写真のフラッシュそこらじゅうでまたたいてるし、
水槽ガンガンたたいちゃってる子とかいるし・・・
展示も、冷蔵庫や電話ボックスが水槽になってるコーナーとかあってゲンナリ。
水中ショーは何やるかと思ったら人間が水中ででんぐり返しとかする
ショーだった。うーん。水族館のレベルが低いな・・・
連れてってくれた友人には、日本にきたら必ず
もっとましな水族館に連れてってあげると約束した。 
良かった事といえば、普段使わないので全く知らなかった水中の生き物の
韓国語が色々学べた事。たとえば、

日本語  韓国語(読み方)

サメ=  상어(サンゴ)

ワニ=  악어(アゴ)

エイ= 가오리(カオリ)

ヒトデ= 불가사리(プルガサリ)

イソギンチャク= 말미잘(マルミジャル)

タツノオトシゴ= 해마(ヘマ 海馬)

アザラシ=바다표범(パダピョボム 海豹)

カワウソ= 수달(スダル)

ラッコ= 해달(へダル)

動物や魚の名前って覚えようと思わない限り覚えないが、
わりに会話でよく使う。良い勉強になりました。

以下、数少ないセンチメンタル写真館(ちょっと手入れてます)。




きらきらひかるテトラ





くらげ(ヘパリ)




てっぽううお
ピラニア

2009年1月10日土曜日

BO-JA-GI



処女作!!
チョガッポ(ハギレのパッチワーク)。モシという麻の布で作る。

昨日、服飾科の友人が東大門の市場に布のサンプルを
もらいにいくというのでついて行った。アクセサリーのコーナーで
さんざんひっかかりまくって、結構買い物してしまった。
だって安いんだもん。日本だとそのへんで平気で2800円ぐらいで
売ってそうなアクセサリーが何百円で売られているから買っちゃうよね。

夜は彼女の家に泊まって、ウイスキー飲みながらチョガッポ初挑戦。
普段絶対やらない針仕事を、しかも夜中にしたから目と腰が痛い・・・
色の組み合わせひとつで韓国っぽくなったり全然雰囲気でなくなったり
するのは面白いなと思った。上の9色は我ながら良い組み合わせに
なった。つくり途中の右上のは、コチャンのプンムルの衣装の色の組み合わせだ。
なかなか時間ないからこれ以上作品増えるかわからないけど、材料買って
日本でも作ろうかな。なにしろ、適当に自分でデザインを作れるので私向き。

さて、明後日あたりから本格的にソウルにいなくなることになりそうです。

イクサン(益山)というところでプンムルの先生になることを決めた
同い年の友人がいて、そこを訪ねてこようと思う。
その次に青山島に直接行き、そのままコチャンで伝授(合宿)を受けてこようかと。
合宿が終わると旧正月です。
なんかばたばただなあ。まあいいか。

2009年1月8日木曜日

トナヨ、日常を

安心してぬくぬく過ごせるソウル。
電話一本で友達とご飯が食べられ、
インターネットで家族と連絡が取れ、日本のニュースが見られ、
誘われればライブや映画を見に家を飛び出せるソウル。
ずっと居たい気持ちもあるのだが、
反対に、一刻も早く此処から飛び出したい気持ちが
ぐるぐるうずまきながら毎朝目覚めます。
正確には「毎昼目覚めます」だけど。
とにかく、来週は必ずソウルを脱出することが目標です。

今日は「女子」な日だった。
昼、梨大の本屋でプンムルペの友人達と待ち合わせして
女4人でランチに。こぎれいな食堂で
4人で5つ違うものを注文する(店の人は苦笑)
ビビンバ、冷麺、カルグクス(きしめん)、スジェビ(すいとん)、そしてキムチチヂミ。
全部おいしかった。食べながらしゃべり続ける。
コチャンのこととか、サークルの後輩のこととか。

そのあとお茶。カフェでワッフルにモリモリとアイスが乗ったやつを
食べながらコーヒーを飲む。気づくと4時間が経過していた。。。。
5年後のみんなの姿をそれぞれ予想し合った。
10年後は、どうかみんな素敵な家族を築く事ができてるといいね、
といいながら全員が実は(私だけ一人だったらどうしよう!)なんて考えていた(であろう。)
このメンバーとは、どんなキタナイ話も恥ずかしい話もできるので
10年後も会えていたらいいなと思う。

2人帰り、のこった2人で夕飯。食ってしゃべってばっかり。
トゥッペギプルゴギ(野菜と共にスープにはいった牛プルゴギのこと)を食べながら
プルゴギの作り方について二人とも知らないくせにずっと語った。
プルゴギの味付けには、すり下ろした梨が入るので、
日本では冬に作るのは難しいかもしれない。
梨って今頃手に入らないよなあーー。韓国では1年中ある梨とりんご。
やはりご先祖様へのお供え物に使われるだからだろうか。

料理はいかにできるフリをするかが勝負だよねなどと、
まるで適当なことを主張しあいながら食べ終わり、家へ。
よくもまあ、何時間もしゃべってて話が尽きないもんだと自分たちで感心。
国や文化を越えて、女子は女子である。

おすすめ国楽

一回目に魚とそのファミリーと弘大で飲んでいたときに、
となりの部屋にカヤグム(韓国の十二弦筝)の奏者が来ているという
話はきいたのだけど、曲もきいたことないのに挨拶するのも
変かなと思い、そのままそんなことも忘れていた。

日曜日、二度目に飲んだ時にまたそのカヤグム奏者の名前が出て
絶対聞いたほうが良いとすすめられたので、ネットで調べて
CDを買いに行った。

名前はチョン・ミナ。
カヤグムで「セヤセヤ(鳥よ鳥よ)」や「ペンノレ(舟歌)」などの
民謡をポップにアレンジしたり、
「Lullabay of Birdland 」のようなジャズを弾いたりする。

オリジナル曲もかなり良い雰囲気を出している。
アジアというよりどちらかというと北欧のハープの音楽のような、
哀愁をおびたメロディが静かに響く。
それでも、カヤグムのゆれる音はやはり韓国の音である。
歌詞も、映画音楽にもなりそうな世界観をもっている。



チョンミナ
1stメジャーアルバム「相思夢(サンサモン)」
これを聞きながら雪ふるコチャンの畦道や海岸を歩きたい!!
そしてチャンスがあればライブにも行こうと思う。

2009年1月7日水曜日

勝手にソウル博物館振興協会3

今日は国立中央博物館。(地下鉄4号線イチョン駅から徒歩3分)

なんでもいいから古くてきれいなものが見たかった
という、なんとも適当な動機でセレクト。
ちなみに常設展は無料公開中でお徳です。
企画展示は「永遠なる生命の響き、統一新羅の彫刻」という題だった。



展示物の95パーセントは仏像。日本の国立博物館からも
たくさんきていました。仏像マニアにはよだれのたれるような展示なのでしょう。
私はマニアでもないけれど、静かな顔の仏像を拝むのは好き。
心が落ち着く。それにしてもすごい数の仏像だった。これだけよく集めたなあ。
統一新羅は7世紀中半から935年までなので、日本の奈良時代~平安時代中期
ぐらいと考えればいいのかな。そうかんがえるとすごく古い。

仏像の出土地が、訪れた事のある土地だったりすると
「あらあら、ウォンジュ出身でいらっしゃるんですか!
それはどうも!つい数日前に行ってきたんですよ!
あらお宅はプヨですか、じゃあ夏にお会いしてたかもしれないですね~」

と挨拶したくなる気分になる。仏像ってホント人みたい。
展示室では、どこぞのVIPなお坊さんが10人以上の取り巻きとともに
ぞろぞろと見学をしていて、一緒に説明きこうかとおもったけど
あまりに内容が高級すぎて無理だったので遠慮した。
慶州の「石窟庵」がどのように作られたかというCGの再現映像が面白かった。
じつは慶州にまだ行った事がないのは恥ずかしい。
日本で言ったら京都奈良に行った事ないようなもんだ。
今回行けるかわからないけど、近いうちにかならず行かなきゃと思った。

常設展示室は、あいかわらず無駄に広いために足が疲れて最後まで見れない。
もう少しコジンマリ作っても良かったんじゃないかなあと思ってしまう。
それでも、行くたびに違う発見があるのはわるくない。
国宝の半跏思惟像はやっぱりうっとりするほど美しかった。

毎回ここだけは必ずじっくりみていくというのが陶磁器のコーナー。
青磁よりも白磁よりもダントツ粉青沙器が好き。
コミカルで、大胆で、奇抜な絵柄が新しい。ピカソもマティスも顔負けだぜ。



なぜか魚にばかり目がいく私。
盛岡のリンゴ体験からかえってきたときは東京の小物屋で
リンゴモノばかり探した。今度は魚。単純人間です。




ミュージアム ショップで魚のキーチェーンを発見して迷わず即購入!
家から持ってきたジャラジャラなる鈴もつけて、
これで酔っ払っても鍵ナクサナイ!


帰ってきて、三線の練習をしています。
ばしぬとぅいぶし(鷲の鳥節)をやってます。
ネットで動画をひろって、あわせて弾いたりして独学中。
帰ったら先生に教えてもーらお。
そんな一日でした。

ここまでやるか



魚の似顔絵を描いてみた
ついでに前に書いた魚型の錠前とあわせてみた

好きなアーティストや顔の印象の深い友達ができると
どうしても似顔絵を描きたくなる変な欲求があるらしい。
その人の顔を自分なりに認識したいというか自分のモノにするというか。

あーあ、しかし。もうちょっとかっこよく描けばよかった・・・
本人も絵描きなので、見せにくいな・・・

2009年1月5日月曜日

明太

「明太(ミョンテ)」という曲がある。
カン・サネという歌手が作詞作曲して歌っている。
宇宙ヒッピーがカバーしてライブで歌ったのではじめて聞いたのだが
歌詞の内容を聞いて、これぞコリアンブルーズと思った。

明太、つまりスケトウダラは、韓国では象徴的な魚だ。
先祖を祀るチェサの供え物にも用いられるし、
いろんな食べられ方をするうえに、状態によって名前が変わる。
一般的に良く使われるのは

「明太」(ミョンテ)=一般的にスケトウダラのこと
「生太」(センテ)=ナマのもの
「凍太」(トンテ)=ナマを一度冷凍したもの
「黄太」(ファンテ)=冷凍してから乾かしたもの
「プゴ」=干したもの

などなど。地方や季節や成育段階、調理法によって、たくさんの別名がある。
この歌は、北朝鮮なまりの方言でそれを説明する語りがはいっている。
何を言っているのかちょっと(かなり)よくわからない部分もあるが
なにしろ音楽が非常にかっこいい。
歌詞を一部紹介する。

피가 되고 살이 되고 노래 되고 시가 되고
약이 되고 안주 되고 내가 되고 니가 되고

血となり 肉となり 歌となり 詩となり
薬になり 肴になり 俺になり 君になり

그대 너무 아름다워요
그대 너무 부드러워요
그대 너무 맛있어요
감사합니데이

あなたは あまりに美しい
あなたは あまりにやわらかい
あなたは あまりに旨い

ありがとうごぜいます

내장 창란젓은 알은 명란젓 아가미로 만든 아가미젓
눈알은 구워서 술 안주하고 괴기는 국을 끊어 먹고
어느 하나 버릴것없는 명태 
그 기름으로는 또 약용으로도 쓰인데제이요 에

内臓ははらわたの塩辛
卵は明太塩辛
エラで作ったえらの塩辛
目玉は焼いて酒のつまみに 肉はスープで茹でて食べる
ひとつとして捨てるところのない明太
その油ではまた薬用としても使われるってんでありますよ

명태 그 말의 유래중에 조선시대 함경도 명천 지방에 사는
태씨성의 어부가 처음 잡았다 해서리
명천의 명자 태씨성을 딴 태자 명태라고 했데제니
창기 아니왔니
그게 무슨 소리니

明太 その言葉の由来に
朝鮮時代の咸鏡道明川地方に住んでいる
「太」氏の姓をもつ漁師がはじめて釣上げたからといわれる
明川の「明」の字と太氏の姓をとった「太」の字から「明太」と言ったっていうんだす
娼妓じゃなかったのか
それはどういうことなのか

(最後の二行はよく意味がわからないので後で誰かに聞いてみることにします・・・)

ブルージーでスモーキーで
田舎っぽくて土臭い、私の好みの曲です。
宇宙ヒッピーが歌うとこれまたスウィングの横ノリが聞いててかっこいい。
興味があれば、サネさんのライブの動画が見られるので
リンクをチェックしてみてください。
http://blog.naver.com/paxyi3?Redirect=Log&logNo=130006521701

NewYork Fish2

「ニューヨークムルゴギ」のライブに行った。
そう、先日の日記に登場するギターをしょった大男、
「魚」だ。

魚が仲良くしているキムマスターという歌い手が、
いま弘大で「キテル」シンガーソングライターたちを集めた
イベントだった。場所は、弘大の「サンサンマダン(想像の庭?)」。
映画館やイベントスペース、インテリアショップなどが集まった
オシャレな空間だった。場所も気に入ったし、なんといっても
イベントに集まった全8チームのバンド、歌手が全部良かった。
韓国にもこんなイケテル音楽があるということを日本中の音楽ファンに
知らせてあげたい。何しろ、それぞれに違う味はあるのだが
みんな声がよく歌が半端なくうまい。

「スカーフィッシュ」という夫婦デュオは、ブルージーですごく良かった。
細身の普通のお姉さんが、びっくりするほどコブシを効かせたブラックな歌声で歌い、
ギターは思わず「オーイェー!」と叫びたくなる唸りを見せる。しかも歌詞が
純粋な韓国語だというのがとても良いところ。素晴らしいコリアンブルーズここにあり。

こないだも紹介したが「宇宙ヒッピー」は相変わらず最高。
なんともひょうひょうとした、肩の力のぬけた良いバンドだと思う。
日本のインディ界に大推薦したい。

みんな少しずつはMCをしていくのに、
魚は無言でムスッとステージにあがり、無言でギターのチューニングをはじめ、
チューニングがいつまでたっても終わらず、いつ歌がはじまるのかと
みんながヤキモキしているころにいつの間にか歌が始まっちゃう。
歌い終わっても「ありがとう」とか言わない。みんな黙って見ている。
魚のスタイルである。不器用だなあと思う。
それでも、8団体のなかでも間違いなく、ずば抜けて魚が素晴らしい。
歌声にしても、歌詞の世界観にしても、ギターからこぼれ落ちる
魔法のようなメロディにしても、芸術としての完成度が高い。
あとで他のアーティストたちがこうつぶやいてるのを聞いた。

「あの人は、宇宙人だよ・・・何もかも超越してる」

はるかにおっさんぽく見える他のアーティストが魚の事を
「ヒョン(兄貴)」とよんでいるのを聞いて、一体全体、彼は何歳なんだろうと
思って聞きたいような聞きたくないようなだったが、あとでこっそり
別の人に聞いた。私が思ってた年よりも5,6つは上だった。
やっぱり宇宙人に違いない。。。。いや、人間じゃなくて魚なんだった。
魚はやさしい。とてもよくしてくれる親戚のお兄さんみたいだ。
(決してお兄さんと呼べる年齢ではないが・・・)
おかげで、アーティストたちの打ち上げに参加させてもらった。
ずっと好きだった宇宙ヒッピーのメンバーとも一緒にお酒がのめたし
また彼らの行きつけのお店で全羅道の食べ物をお腹いっぱいご馳走になった。
杯をかわしながら、詳しくもないのに日本のインディ事情について自慢したり
今日見たアーティストたちなら日本でも人気が出ると持ち上げたり、
日韓の違いについて色々語り合って、気づけば午前3時だった。
なんてすごいことだろう。私はやっぱり人に会う運が絶対的にあるらしい。
たまたま三線を持っていたのでまたしても下手なくせに2,3曲披露した。
今考えると恥ずかしいが、やったことは間違ってはいないと思う・・・。
みんな盛り上がって聞いてくれた。

伝統文化にはまってから、そればかりが目に入るようになってしまった。

伝統音楽ばっかりが韓国の全てじゃなくて、
そういうものに関心のある人たちが韓国人の全てではない。
むしろごくごく少数派だ。
だけど同じ音楽が好きなひとたち同士、やっぱりどこかで
しっかりつながっていて、同じひとつのもので「オーイェー!」と
笑顔で分かり合えるものだと信じている。
ジャンルを越えても、国を越えても、時代を越えても。

全羅道の木浦出身の料理長が作ってくれた
オリグルジョッ(天然牡蠣の塩辛)をつまみながら、
そんな音楽の広い可能性を確信した夜だった。

2009年1月3日土曜日

韓国の東北とソウルのギリシャ

昨日の夕方、カフェで孤独と退屈の病に見舞われて死に掛けているときに
突然ビガビガっとお告げが降りてきた。東京で一緒に活動してる
プンムルペ「ナグネ」のひとたちが韓国に合宿に来ている事を、思い出したのだ。
電話すると、ソウルではなく江原道ドゥンネとのこと。遠い。どこだかわからん。
すでに時計は4時半を過ぎていた。
だが、やっぱり韓国に来ているならビールの一杯ぐらい交わしたい。
無理を言って、ソウルからそっち方面に行く予定だった知り合いの知り合いに
車に乗せてもらい、3時間半かけてなんとかたどり着く。
ひとりで来ていたらえらい目にあうところだった。感謝。

合宿所はユースホステルで、すばらしい施設だった。
同じプンムルの合宿でも年末に行った学生の合宿とはえらい違いだ・・・。
そして江原道は、ソウルの北東に位置するので寒い。
空気も水もきれい!と肌が感じ取る。
景色もなんとなく日本の田舎みたいだ。
よく行く全羅道の海側の風景とはまた違って、
険しい山間に家がぽつぽつあるのでちょうど日本の東北の方みたいだ。
しかしやはり日本で無いと感じるのは、山間のあちこちにムドム
(墳墓。土がこんもりもられて芝生が植えられてる墓)が見えることかしら。

合宿はソウルの「伝統打楽研究所」の房承煥先生の主催だ。
ナグネだけではなく、先生が関わっている小学生~高校生、学校の先生たちまでが
集まってそれぞれサムルノリやソルチャンゴ、パンクッを勉強していく合宿なのである。
こどもたちは好きでやってるのか親につっこまれたのかは知らないが
練習の合間合間にもはしゃぎまわっていて、大変なエネルギーだ。羨ましい。
大人は練習よりおしゃべりとお酒がメイン・・・かな?
毎夏と冬ごとにやっていて、ナグネの人たちも根気よく通っているので、
何人かのこどもたちや学校の先生たちは、ナグネのメンバーと顔見知りの様子。
夜は少しお酒を飲みました。

ナグネのメンバーたちと話して一緒にサムルを練習し、
久しぶりに日本の親戚の人たちに会ったような
なつかしく暖かい気分になってすっかり体調も治った。
胃痛は孤独のストレスだったのか。

今日は急いでドゥンネの合宿所を出てきて、
ソウルで友達Yの誕生日パーティー。
Yの友人と私と3人で会おうという数日前からの約束だった。
この国の風習では、誕生日はなぜか祝われる本人が驕ることになっているので
ありがたくご馳走になった。
梨大の目の前のギリシャ料理屋で、マスターの講釈を聞きながら
ギリシャのパンにヨーグルトサワークリームを塗って食べる。美味しかった。
とくにホウレン草のパイがおいしかった。また食べたい。
Yはマスターの旅の自慢話を至って煙ったそうに聞いていたが、
私はにこにこ笑いながらへぇとか、おーとか相槌を入れてあげた。



店を出てから
Yに「あのおっさん、お前が日本人だって全然気づいてなかったよ。
すげーな。話、全部聞き取れてんの?」といわれたので
しらっと「全然」といったら爆笑された。私は聞き取れてるふりするのがとてもうまい。
「発展がないから今後は聞き取れなかったら言ったほうが良いのでは」
という助言を頂いたが、余計なお世話である。
聞き取れるふりをして得るものだって実は多いんだ。
とはいえ、まあ、大事なことは聞き返したほうがいいよね。

そのあと、古本屋で3人で小説とか(エロ)ビデオとか日本の漫画とかを
あーでもこーでも言いながら物色し、結局小説を1冊と映画3本買って帰った。
なんとなく、男の子たちがナンチャラカンチャラいいながら
ふざけて遊んでるのに同行するのは、女の子同士の買い物とかとはまた違って面白い。
3人でスキーに行くのもいいかもね、という話をして別れる。

今日は楽しかった。

2009年1月1日木曜日

いちふじにたかさんなすび



適度にゆるく適度に軽く適度に熱い一年に。

いい夢見られるように適当に絵を描きました。
誰が誰だか判別不可能な七福神がポイントです。
(まずい、いまよく数えたら8人いた!!)

昨日夜から今日は友達Yの言うがままに、流される事にきめた。
合宿から帰ってきてぐったりしていたが逝く08年を楽しく送ってやらないと
悪いと思い、Yのススメにしたがって胃薬と苦い漢方薬をぐいっと飲み干し
弘大のライブハウス「パン」に向かった。
超B級なロックバンドのライブを見て、気づいたら09年になっていた。

今日は昼起きて消化に良いようお粥食べて、また胃薬と苦い漢方薬を飲んだ。
大学路に演劇を見に行くというので、また流された。
劇場「魔方陣」で「マリファナ」という演劇をみた。
オールドボーイなんかにも出てるすごく有名な俳優の演技を間近で見れたのは良かった。
時代劇もので、台詞がチンプンカンプンだが、だいたいの内容は
7人の男女の7画関係みたいなもんで、いまいち入り込めなかった。
消化不良のまま、何しようか、という話しになり、流れでポニョを見に行くことになった。

新村の映画館アトレオンでポニョ今日の最終回を見る。
ここ数日で一番面白かった。
日本のものを韓国で見ることになって、損だと感じることは一個もない。
新村で、こっちの友達と日本映画を見て、その感想を言い合うことで
十分価値がある。しかも、面白かった。

さて、明日は何をしよう。

今年は、何をしよう。

他の誰にも出来ない世界が作れたらそれは最高だ。

誰にも譲れないものものをひとつ得られるなら

今まで大事にしていた10のくだらない愛すべきものたちを捨てても構わない。

もちろん痛みは伴うのだけれど。