2009年1月17日土曜日

錦河聖浦での最後の夜

錦河沿いの村、聖堂浦(ソンダンポ)でのステイが終わろうとしている。
一週間、よく食べよく眠りよくしゃべりよく練習した。

12日月曜日から伝授館で左道農楽の合宿がはじまった。
おじいさん先生の弟子四人を中心に、
小学生から高校生まで13人のメンバーで行われた。
農業などで自活しながら共同体生活をしている学校の生徒たちが
ほとんどで、みんな素直でいい子たちだった。
(大人の言うことは本当に聞かないけど。)

木、金曜日には、弟子たちが公演の出前で
全羅南道ポソンという町に行くことになり、
9人乗りのバンに13人乗って全員で向かった。
正農会という、クリスチャン系の有機農農家の集まりがあるのだが
そこの定期研修合宿の打ち上げに呼ばれたのである。
というのも、弟子の一人の両親がそこの古株会員で、
彼女の家は昔から有機栽培でなんでも育てて食堂をやっている。
昔ながらの韓屋(古民家)に住んでいて、外国からの
客もよく泊めたりするらしい。とにかく食べ物にうるさいうちである。
そういうわけで、みんな親戚のおばちゃんおじちゃんのように
彼女たちをよく知っているのであった。

突然私も一緒に公演することになった。
衣装に着替えて、コチャンのソゴチュムを踊った。
(小さい太鼓を手に持って踊る踊りで、
私がずっと習っている地域のもの。)
久しぶりだったけどやっぱり楽しいものである。
弟子の一人と一緒にやったのだが、やっぱり彼女の方が
百倍上手いので観客の視線がそっちに集まってて
ちょっとせつなかった。笑 いやいや、楽しかったからいいさ。

次の日には、正農会のメンバーのおじさんたちと一緒に
韓半島最南端の町、全羅南道ヘナム(海南)をまわって帰ることになる。
ポソンからヘナムまで行く間の風景は、いかにも
「南道!」という感じで、あたたかい太陽の光にかれたススキが
さわさわと輝いていて、そのうち遠くに海が見えてきたときは、
本当に心にいい風が吹くような気分だった。

ヘナムでは、超豪華な海鮮ナベ(ヘムルタン)を食べた。
イカ・エビ・貝類いろいろ、あわび、さざえ、テナガダコ(生きたまま)
などなどがグツグツ煮え立つ上に、新鮮なニラとモヤシをわっさと
乗っけて真っ赤なスープをぶっかける。最高。サイクー。
全羅道ではよくおかずで登場する「メセンギ」という海草に最近
めちゃめちゃはまっている。たぶんアオサノリ系だと思われる。
ごはんたべて、最南端の海岸に行ってみんなで海をながめた。
やっぱり海は広いな大きいなきれいだな。
流木のスケッチとか貝拾いとかしちゃったりなんかして、
冬の海を十二分に堪能した。

9人乗りバンに13人+太鼓、荷物×(海南から伝授館のある益山まで6時間)
はなかなか厳しいものがあり、足腰が痛くなるわ
子供たちはぎゃーぎゃー大騒ぎするわ、大変だったけど
2日間の旅行でみんな仲良くなったような気がする。

伝授館に帰って、金曜の夜のみんなでの練習は熱かった。
2日ぶりに太鼓をたたくからか、こどもたちもやる気だった。

土曜日、木浦大学で民俗学の研究をしている博士課程の人が
おじいさん先生にインタビューに来た。しめしめすばらしくいいチャンスである。
おじいさんの言葉は日本で言ったら津軽弁のようなもので
ソウルの人でもなかなか聞き取れない。もちろん私は10%もわからない。
でも、その研究者の質問が研究者らしくとても的を得ているいい質問だったので
おじいさんの答えも聞こえてくるようだった。
昔、ここ聖堂浦は全羅北道から税金が集まってくる町で、いかに
豊かだったかということ、船や人々がいったり来たりするため、
文化がいかに洗練されていたかということ、農楽がいかに盛んだったかということ。
昔おこなわれていた神聖な祈りの儀式のこと。
おじいさんがどうやってチャングをたたくようになったかということ。
いろいろ聞けてとてもいい勉強になった。
その内容はいずれ整理してまたここに載せます。

午後は最後の練習。
ソルチャング(プンムルの中で、チャングだけが叩く個人技。)
のカラク(リズム)も習ったが、ほかの地域よりも複雑で面白い気がする。
味があるといったらいいか。上手く叩けば、観衆がみんな踊りだしそうな
素敵なリズムがいっぱい詰まっている。また来て習いたいと思う。

なによりもおじいさんの魅力と、
弟子である友人三人の持っている夢、希望に満ちた新しい生活に
とてもとてもいい感じを受けた。
三人は、私にもここに来て住めと言っている。笑


それもまたいいかもしれない、なあ。

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