2009年10月14日水曜日

高麗神社シウォレマダンへのご招待

韓国留学から帰ってきてから早3回目の高麗神社
シウォレマダン(埼玉県民団の行事で「十月のまつり」の意味)公演が
あと2週間後にせまってきた。

参加1回目の2007年。
この年はすごく晴れてた。
まだ自分がナグネ・シナブロというチームに所属してる感が
あんまりなく、とにかくこの人たちがやってる方式に
くっついていくぞというかんじでチャンゴを無我夢中に叩く。
ナグネがやってる右道プンムルは、やたら難しい。
コチャンのほうが断然簡単だ。おいらはいまも、もうちょっと
体の動きを単純にしたらいいのに、と思ってるが、
まあおいおいそれは考え直していったら良いんだと思う。
韓国で自分がやってきた方式とはだいぶ違うなかで
チャンゴはうまく叩けた自信はないが、
日本でもこんなプンムルができるんだなあ、とこれからの
東京でのプンムル生活に期待を抱いていた。

昨年2008年は、1年間の練習、いやむしろ飲み会で得た
人間関係を最大限活かして、「つながり」を意識した公演だった。
ピルボン農楽を叩く「ウリト」の人たちも誘った。
長年プンムルをやっているナグネの人脈は広い。
そして当日サンスェ(農楽のリーダー)をやってくれる房先生の
魅力もあるのだろう。
気づけば40人を超す大規模なプンムルの輪が出来ていた。
この年は、ホームベースのナグネ・シナブロの方々とも
コチャンソゴチュムの練習などなどを通じてだいぶ
つながった感じだった。当日、房先生のサンスェのもと
やったソゴチュムは、こどもたちもまじえて、
かわいらし~(自分でいうのも変だな)イメージのソゴチュムになった。

11月もサタチャンで三都市大集合プンムルをやって、めちゃくちゃ楽しかった。
大阪(みのおチャンゴヨロガヂ)、名古屋(ノリパン、センメッチュ)、
東京(ナグネ、ウリト、その他いろいろ)が合体してやったプンムルは
なんとも、韓国のノリを思い出させる記憶に残るクッだった。
誰かが強力にリードしているわけでもないのに、誰もが入っていきたくなっちゃう
ようなプンムルだった。東京のひとたちだけであれができないものだろうか。
考えて見ればあの時はチャプセク(道化役)をやるんで昼からマッコリを浴びるように
飲んでいたら打ち上げのときにはすでにかなり出来上がっていて、池袋で終電を逃したんだった。
汚い格好のまま、汗だくの衣装を抱えて翌日は府中公園での公演だった。
もちろんその日も昼から焼肉で、マッコリ。。。
あの二日間は濃かったなあ。

で今年。

2009年高麗神社の個人的な目標。
去年のカワイラシーソゴチュムとはちと趣向を変えて、
もっと泥臭いものをやろうと思っています。
紙張子でお面を製作中です。
チャプセク(道化、踊り、雑用係)を研究するあたくしとしては、
自分でもやりながらこれを極めたいと思い
今年はなんとしてもチャンゴを叩かずにこれをやりたいと
皆の反対を押し切って(チャンゴ隊の人数が少ないので出来れば
やってほしいという空気を読まないで)
チャプセク「で」いい、ではなくチャプセク「が」いい、という希望で
やらせていただくことになりやんした。

やや使い古されている気がしてならないけれど、
韓国朝鮮の「恨(ハン)」という概念があり、
やっぱりそれを表現できるのは韓国の音楽であり舞踊でありクッである
のだなあと思うのであります。とくにタルチュム(仮面舞踊、演劇)は
面という別の人格を得ることによって、素面では語れない強い感情を
最大限発散できるのではないかと思うのです。
そのためには納得のいく面を作らねばならず、そして何を伝えたいのか
綿密に考える必要があるのです。
かわいくなくていい、きたなくていい、でも伝えたかったことが伝わる
ようにはしたい。

演じ手が、その想いを伝えたい相手というのはその場にきていなくてもよくて、
演じ手とその相手の関係が、見ている人の自己に投影されて、
ああ、自分にもそういうところがあるなあと共感してもらえるようにする・・・・
演劇とか舞踊とかってそういうものなのかなとおぼろげながら感じています。

とまあだんだんわけがわからなくなってきたところで
そろそろ学校にいかなきゃいけないのでやめます。

あいかわらずいろんなことに手を出しまくっているわたしですが、
秋は本格的に韓国朝鮮・農・舞・演じる・祈る・・・・という方向に集約して
いけたらなあと考えています。

今週末(木~土)は、済州島からシンバン(シャーマン)が
やってきます。韓国文化院で民俗写真家である故・金秀男の展覧会があり
そのオープニングにあわせて5人のシンバンによる
クッ(故人の霊魂を呼び、遊ばせ、そして安らかに眠れるよう送る儀式)が
行われます。オープニングパーティ~儀式~シンポジウムまで
三日間みっちり参加してこようと思ってます。
金秀男のぶあつ~い写真集「クッ」も持ってたりするぐらいファンなので
展覧会も楽しみ。やっぱクッを撮るなら白黒だよなあ~。
鼻息荒くなります。ふんふん。

2009年10月10日土曜日

ふっかつっ

イヤー参った。
パソコンが二台とも壊れ、
ついに家でインターネットが出来なくなってしまった。
それもあり、いろいろ思うところがあってブログを
いったん閉じていましたがやっぱり書きたいことがいろいろ
あるので復活しました。これは父のミニノートパソコンから。
キーボード打ちにくい・・・うっうっ

夏休みが、とうとう、とうとうとうとう終わろうとしています。
長すぎやねん。ほんま。ゲー大。
人生で一番長くて、パンチのきいた、でも伸び伸びした夏休みだったと思います。
でももういいやとも思っている。早く学校始まっちゃえ。

7月終わりに家を出て、早池峰に登ったり8月は盛岡の黒川で
さんさ踊りをずっと見させていただきながら居候でさんざんご迷惑をかけ;;
他では絶対に得られない貴重な日々をすごさせていただきました。

9月もあっという間に終わったけど、振り返ればいろいろあった。
まず東京帰ってすぐに芸祭。帰ってきていきなりだったけれど
キューバ・アフリカドラムサークル「おちゅん」に入って
一緒にヨルバ語で歌いまくり踊りまくり、ハバナクラブ(ラム酒)飲んで
突然暗いことを言い始めて友人を悲しませたり、しかしはちゃめちゃに楽しい芸祭でした。
おちゅんの仲間はこれからもいろいろ一緒にやっていけそうで
ほんとに楽しみ。すばらしい仲間ができました。

んで、その後はプンムル方面でも新しい仲間が出来て
楽しくやっております。そのツテで、ずっとやってみたかった
ちんどん太鼓までやらせていただくチャンスがあったりして・・・
やりたいこと・できることをシェアできる仲間が
いるっていうのは本当に幸せなことなんだなあ。

そして今日は、スペシャルな再会がありました。
去年2008年の春に結成したICU三線会。
最初同じ学年の三人ではじめたものが、
エゲレス留学・専門学校進学・プー(ME)など三人の
進路がわかれたことによりだんだんばらけていき、
途中から入ってきてとても熱心にやってくれてたひとつ下の
学年のすばらしき仲間も、今年の夏にとうとうアメリカに留学してしまい
あれあれ、どうなることやらと言っていたところ、イギリスに留学していた
オリジナルメンバーの友人が今日帰ってきたのでした!!
うーん、ひさびさに一緒に歌うとなんとも感慨深い。
三線会もこれでまた盛り上がってきそうです。

10月ももう10日過ぎてしまいました。

今月は本当に死ぬほどカルチャー満載で大変です。
「飲めや歌えや踊れや」が研究対象(ということになっている)だと
いろいろ誤解も受けます。
ただ遊んでいるだけなのではないか。とか。
結局パッパラパーではないか。とか。

・・・あ、誤解じゃないか。

でも、今年の夏いろいろ大切な気づきがありました。
それはやっぱり着地点を見定めなきゃならないんだということです。
歌って踊って騒いで、見つけたものがたくさんあるはずなのに
そこから見つけたものを取り出して書いたり表現したりすることを
しなければ、やはりただのパッパラパーに違いないのです。
だからブログ再開しました。

新学期こそ、この忙しい文化の秋だからこそ
自分の方向性を見定めながら飛び石を渡るように
軽やかなステップですごしていきたいと思います。

センチメンタルになっている暇などないのだ。。。

2009年8月14日金曜日

おぼんです

ども。まったりしすぎてもはやフィールドワークなんかでは全くなくなっています。
神楽のことを書く前にさんさの時期になってしまいました。
早池峰についての雑感はちょっと保留してあとで書くことにします。

現在、盛岡の黒川という地区に滞在中です。
黒川さんさ踊りをやっていらっしゃるK田さん宅に
長期でステイさせていただいています。感謝。
今日はお盆入りの迎え火ということで、K田さんちでもお墓参りをしました。
今日のわたしのミッションは仏花を切りそろえることとお供物のための料理。
天ぷらを1時間以上揚げ続けました。最後のかき揚げを揚げ終えた瞬間は、
得体の知れない達成感で満たされていました。笑

うちは父が民俗学者のわりには自分の家の行事はあまり重視していないので、
いままでこうやって先祖を迎えるために提灯を吊るしたり
お母さんがあくせくと料理を作ったりお花を買ってきたりしたことがないので
とても新鮮だった。家の敷地内にもお墓があるので、私もお参りしておきました。
ご先祖様も赤の他人がお盆にやってきて天ぷらを揚げているとは
思ってもみないだろう。。。。笑

明日は盛岡市内の鉈屋町という古い町屋敷の通りで
黒川さんさによる門づけ行事があります。
門づけというのは一軒一軒家を回って庭で踊りや歌などを披露して、
その家の繁栄を願ってあげるかわりにお金やお米などをもらうという行為のこと。
プンムルの「乞粒(コルリプ)」や「埋鬼(メグィ)」に通じるところが多くて
本当に面白い。

太鼓を体に縛り付けて踊る点や、輪踊りが基本である点。
さんさは構成が太鼓・笛・手踊り・道化となっていて、その人数や
順序が入念に会議して決められている点。
そして装束にも共通点が多い。
色とりどりの腰帯をひらひらさせること、花笠をかぶること、わらじをはくことなど。
音楽的に見ると、さんさとプンムルに直接的な関係は全くないのだが、
やはりおなじようにコメを食べ、農業をしているひとたちの芸能というのは極めて近い。
その息遣いや腰の落とし方、踊りに対する姿勢自体がやっぱり
その地に根付いたものであることを感じさせる。
場所も中身も全く違う芸能を比較することに意味はないと
思われるかもしれないが、これだけ近いと感じるこのふたつの踊りを見て
「同じだ!」とうれしくならずにはいられない。

この間の花火大会の公演のときに見たもの。
はじまるまえに親衛隊のお母さんたちや家族が
みんなの帯をしめなおしてあげたり、
太鼓のひもをぎゅっときつく引っ張ってあげていて、
あまりに見慣れたその光景に一瞬目を疑った。
踊り自体だけでなくて、こういう準備の瞬間もプンムルを
やる人にぜひ見せてあげたいなあと思う。

門づけ行事は最近復活されたものだけれど、
昔からのさんさの役割、文脈というものを一番よく意識した行事なので、
明日は本当に楽しみです。

2009年8月7日金曜日

遅すぎる第一回報告 早池峰の夏①

書こう書こうと思いながらなかなかブログがかけずにいたが
今日はステイ先の家族のみなさんが休肝日ということで早めに
おやすみになったので、一人で今日までのことを色々振り返ろうと思う。

7月29日 東京発(高速バス)
30日 盛岡着→石鳥谷→大迫→岳(和泉坊泊)
31日 早池峰登山→早池峰神社例大祭宵宮(神社泊)
8月1日 例大祭→花巻→花巻南温泉郷(大沢温泉自炊部泊)
2日 花巻→北上みちのく芸能まつり(鹿踊、パレード鑑賞)
→矢幅→黒川(黒川さんさの北田家泊)
3日 草刈りなど
4日 盛岡さんさ踊り 黒川さんさ密着鑑賞→北田家でお母さんの誕生パーティ
5日 草刈りなど
6日 写真整理など
7日 産直品だし、りんごジュースラベル製作、ももの収穫、りんごの出荷準備など



まんず、ハヤズネさんの話から・・・。

7月29日に東京駅からJR高速バスに乗って盛岡へ。
ゼミのレポートを出し損ねたことが気がかりになりながら出発。
代理提出Tちゃんありがとう・・・・

31日朝 盛岡着。
大通りのネットカフェに走りこんでレポートを書き、
しばらく駅で寝たあと電車で石鳥谷へ移動。石鳥谷から大迫までバス。
早池峰神社に向かうためだ。しかし、早池峰はガチで田舎であるため
車(もしくは車にのせてくださる方)が絶対的に必要である。
今回も非常にお世話になった地元の藤原さん(ワインぶどう農家さん)に
大迫のバス停から電話して迎えに来ていただく。
大迫にも賢治の記念館があるのでそこを見学して、
山岳博物館にも行った。ここの前館長、一ノ倉さんは藤原さんの高校の同級生で、
神楽に興味を持って、山も登りたくて来たと言ったら
とても丁寧に山や地形と神楽の関係などについて教えてくださった。
翌日、早池峰に登るのにあたってとても素晴らしい予習になった。

藤原さんに送っていただいて、早池峰神社のある岳部落に到着。
本当に山奥で、携帯の電波も届かない。
明日の登山の集合連絡どうすんだ・・・と思いながら、
ひとまず宿泊先の宿坊、和泉坊へ。笑顔のおばちゃんが迎えてくれる。
荷物を置いて、岳の部落を散歩。夕日がちょうど山の向こうに落ちて部落全体が
もうすぐ闇に包まれる、その直前の静かであったかい風景が広がっていた。
隣の家の縁側には鳥兜(神楽を舞うときのかぶり物)が干してあった。

夜行バス明けでそのまま歩きまわった体はやはり正直で、
夕飯を頂きながらほとんど半分瞼が下がってきて、
「睡魔に襲われる」っていうのはこれだなーと思いながらバッタリと倒れる。

しばらくして起きて、おばちゃんと天気の話などをしながらテレビを(ずうずうしくも)
一緒に見ていると、神楽衆であるおばちゃんの息子さん、まもるさんが帰られる。
神楽衆のかたに話を聞くことは、期待はしてたけど半ばあきらめていたので
本当にうれしかった。

ここ最近のアイスブレーキングにぴったりな話題はやはり、「花巻東」。
春の甲子園で準優勝という快挙をなしとげた花巻東高校が
夏もまた出場決定したので、だいたいなんでも花巻東の話が
出るとみんな黙ってないのでありがたく活用している笑
もちろん、私も応援しています。

高校野球の話でひとしきり盛り上がったあと、
岳の昔からの暮らしぶりの変化、神楽衆の現状、
大償神楽との確執、海外公演の話など飾らない言葉でいろいろ聞けて面白かった。
芸能勉強するって、何を学ぶの?という耳の痛い質問も受けたりして
考えさせられることも多かった。

部屋に入って一瞬で眠りにつき、朝は恥ずかしくもおばちゃんの
モーニングコールで目覚める。

8月1日

障子を開けて外を見れば、雨の心配などはどこかへふっとぶほど
超快晴であった。こりゃ最高の登山日和だ。
8時半すぎにほかのメンバーも岳に到着した。
今回の旅の大きな目的のひとつがハヤチネサンに登ることだったので
前日神社にお参りしておいたのだ。どーか、神楽を見る前に山に
登らせて下さい!と。願いはかなった。

9時40分に小田越に車で到着(また藤原さんに送ってもらう)。
小田越からの道は「オンナ道」、反対側の河原坊からの道は「オトコ道」
といわれて、幾分前者のほうが楽だということで、小田越から登って
同じ道を下るというコースをとることにした。
割とハイスピードで登って、途中苦しくなることも特になく11時チョイすぎに
は山頂に着。途中、
ハヤチネウスユキソウ(日本でここしか見られない和製エーデルワイス!)も
ちらほら見られたし、他にもたっくさんの高山植物がありました。
今度はもっと早い時期に来て花をいっぱい見たいものです。

それにしても、ガレ場(岩場)からの山並みがサイッコウだった。
ヤッホーとかヒャッホウとかウオーとかギャーとか、
叫びたくなるぐらい最高な気分だった。
青い山脈ってこれのことか!という。山は夏は青いんだ、本当に。

下山して小田越14時チョイ過ぎ着。早かった。

急いで神社へ向かい、神楽見物の準備・・・のはずが、
ワインを手に入れてしまったのでまんず一杯・・・・。
一杯のはずが二杯・・・二杯のはずが。。。というわけで
前座の弟子神楽はほとんど見れずに、ほろ酔いで岳神楽見物に
突入。岳は太鼓のリズムが本当に鋭い。
ストレートな体育会系である。

さて、、、本題の神楽に入ったところだが眠くなってきたのでまた明日。
明日は盛岡花火の祭典!にて黒川さんさが公演!(よりもメインはそのあとの
花火+ビールだったりして。楽しみです。)

2009年7月21日火曜日

準備

岩手の旅の準備に忙しい忙しいとは口で言っているものの
何に忙しいかって飲むのに忙しかったりして、なんだかな。
行く前に本をいっぱい読もうと思っています。
今日は前からの課題のひとつである韓国の藁人形「ホジェビ」
についての論文の全訳を一生懸命進めた。民俗系の論文は
単語が難しかったり、方言が出てきちゃったりしてなかなか手強い。
いま読んでいるのは、李柱承という人が修士のときに書いた論文。
彼はホジェビをその処理過程で分類して、
①捨てられる型②燃やされる型③水によって送られる型とした。
①は主に土地の神と同化している場合で、土地神さまが村の
悪いものを全部負って村から出て行ってくれるというもの。
②は、人形自体が雑鬼であると考えられている場合で、容赦なく燃やして
その厄を祓う。
③は、海の神さまなどに悪いものを届けてくれる船乗りとして、
船に乗せて送るというもの。

一見みんなおんなじように厄払いのためにあるように見える藁人形も
それぞれ少しずつ異なる役割を持っているということを教えてくれる。
突っ込みどころはあるけれど、修士論文としてはかなり良い論文だなあと
思う。私もここまで整理できた論文が書けるんだろうか?
(その前にテーマを絞れっていう話だけど。)

岩手で虫送りの藁人形をみることができたらとても勉強になるだろうなあ。

しかしそれにしても、
たまたまグーグルで岩手・芸能で調べたらこのいい加減なブログが
出てしまうということに気づき、大変な過ちを犯している気分です。
もっと勉強します・・・・;;;

2009年7月15日水曜日

Spiritual Iwate3  神楽の見方編(改訂)

今回はじめて本格的に朝9時から夜10時までという
長丁場の神楽を見た。5,6時間ならともかく10時間を
越すと人間というもの集中力が物理的に持たない。
ビデオ回し、写真も撮り、ノートもとる。なかなか体力勝負だ。

今回神楽を見ていて思ったのが、
一体何をノートにとるのか?という点。
ご一緒させていただいた大先生がたはバリバリガリガリとノートを
書いていたけれど一体何をメモしていらっしゃるのだろう。
全員のノートを比較して知りたい。

奉納はじまって2~3時間目ぐらいの、やる気満々だった時のノート↓



※よく見たら千早(着物の種類)が千草になってる;;;;
しかも大乗神楽では千早のことは浄衣というらしい、と後で知る。

演目名、
人数、道具、衣装、伴奏形態、歌や舎文の内容、
何の神についての舞なのか、という基本的なことにはじまり
立ち位置やフォーメーションの要素(向かいあって、円になってなど)
動きの要素(扇の要を持って前後に振りかざす、印を結ぶ、飛び跳ねる、などなど・・・)
こういったものを言葉や図で書き表すのは大変難しい。
試行錯誤しながら三次元の動きを図にする方法を考えています。

更に音的な要素を言葉にするのは至難の業・・・。

Writing about music is like dancing about architecture.
(音楽について文を書くことは、建築について踊るのと同じような事だ)

とは誰の言葉だか忘れたけど(調べたら、コステロでした。)本当に名言だと思う。
もっとも、この世の中には建築について踊れる人もいるとは思うけど(特に白州とかに。)
一体音について書くことの意味ってなんなのか。。。。
「リズムが全体的にギュッと詰まってる」とか「ユルい」とか「不思議なリズム」
なんていう記述は許されなくて、じゃあどうすんの?
というときに五線譜を持ってきて採譜・・・・なんてことになると私はもうお手上げ。
五線譜ではなく、抽象的な形容詞でもなく、他に音を記録する方法を自分で
考えていかなければならない。本当に、Dancing about architectureだなあ。

※舞や音についての記述に関してアドバイスがあれば気兼ねなくコメントお願いします;;;

Spritual Iwate2 意気込み編

「幸せいづる国、いわて」というのが今年のJRの岩手観光PRの
宣伝文句。早池峰や遠野に行った人がよく、座敷わらしがついて
帰ってきたとか、河童を見てから良いことが起こるようになったとか
色々あるけれど、そんなスピリチュアルなイメージの尽きない岩手。
乾いた都会の空気に疲れた現代人はそういったものに惹かれてしまう
ものなのかもしれない。

今回のメインは北上・村崎野で行われた「大乗神楽」の奉納。
大乗神楽は神楽好きのなかでもまだまだレアな存在らしく、資料も
多くないのでせめてもと教育委員会から出ている古い本をコピーして
それを片手に行った。よく予習もしないままに見たのだが、
とても面白かった。とにかく宗教色(仏教色)の濃い神楽で、
不思議な魅力を持っている。うおー、山伏!修験道!という感じ。
地元研究チームの方々、神楽を継承している
方々の努力によって色々な演目を復活させたり変化させながら守っている
様子が伺えた。歴史あるものを保存することの難しさたるや・・・。

大乗神楽に合わせて行ったけれど、
今回の実の目的は8月の調査の下準備でもあった。
地元の研究者の方々や芸能ファンの方々とお話すること、それから
大迫と黒川にも立ち寄って地元の空気を感じることで
なんだか一気にまた岩手が近くなった感じがする。
メールや電話や、本や映像で知るよりもそこへ行って会って話すことが
どれだけ重要か!と再認識。

一応なりとも学問の世界に席を置いていると、
学問が職業であり、つまり義務でも張り切って研究しなきゃならないので、
他の研究者は情報源であって同志であってライバルでもあるわけで。
が、私はどこそこの大学の大先生からアマチュアの郷土芸能ファン、
おっかけの人までがやはり、その人なりの愛があって芸能を追っているので
人としてお付き合いしたいなあと思うのであります。
チャンスがあればお酒でも飲み交わしながら、一緒にご飯を食べたりして
お互いの興味について語り合う。そうやってしか芸能は学べないと
確信している。

しかし目下の最大の問題は、酒の場で話した内容をどうやって記憶(記録)
するかという点。きれいすっぱり忘れてしまうので録音でも
したほうがいいのか?とか酒飲みながらもやっぱりノートはとるべき
なのか?そうすることで100パーセント酒の席の雰囲気を
楽しめないのではないか?というジレンマにたたされている。
あるいは、酒量をコントロールする?
(たいして飲んで無くても忘れるので)それは論外・・・。

それはそうと、
最終日の昨日、盛岡市内で神楽を見ていたときに
スピリチュアル体験をした。というか結構ショックな出来事。
神社の神楽殿の前で奉納が始まるのを待っていると、
私の横にあった棒杭に一匹のクモが歩いている。
よく見ると、背中が人面である。
人面というより、鬼の形相。

キターーーーと思い、カメラを向けて接写しようとすると
なぜか接写に強いはずのNikon クールピクス氏、ピントが
全然合わない。クモは威嚇して触手を振り上げている。
逃げる前に早く撮らなきゃ、と思って一度電源を切ろうとしたら
なんとフリーズ。画面はレンズエラーということで、全く
動かない。レンズが出っ放しの状態で死んでしまいました。
恐るべし、神社のクモの霊力!!!!

深夜に自宅に帰ってきてから図鑑を開いたが、
まだ同定できていない。一体何グモだったんだろう・・・・。
それもだが、カメラの修理代が馬鹿にならない。
その修理代で予備バッテリーやDVテープが買えたのに・・・
二度と出すぎた真似はするまい、と心に決めたのであった。