2009年11月9日月曜日

秋深し!プンムルの季節!

所属するチーム、いやホームであるナグネその他いろいろ、
この秋はプンムルの出番が週末ごとに目白押しです。

10月25日の、入魂の高麗神社公演では
ナグネの公演のために、東京でピルボンプンムルをやっているウリト、
小金井で活動してるケグリ、その他、多方面からお手伝いいただき
大成功に終わりました。
これだけの大規模でプンムルたたけるのは東京では高麗神社だけでしょう。

わたしは今回チャプセク(道化)を担当。
道化三人娘(娘であることすらわからないが)は
大好評を得て、韓国からケンガリをたたきにきてくださった
房承煥先生も太鼓判!ばんばん!と押してくださいました。
数日間徹夜で作った衣装、お面。一緒に踊ってくれたGE大の
はるなちゃんも楽しんでくれて、良かった良かった。
何しろ、ニコちゃん(小学校1年生)の踊りが素晴らしかった。笑
交通費分、飲み代を稼ぐために作ったお面のミニチュアのキーホルダーを、
自分もお面かぶって、ニコに手をひかれながら売りさばいて
それなりのこづかいをゲットしました。
もちろんニコにもお駄賃をあげたさ。300円だけど。
よく考えたらあんなに素晴らしい作品を作ったのに(自画自賛)
写真撮るの忘れた。あーーーもったいない。。。。



チャプセク三人衆





高麗神社の入り口に立つチャンスンの前で集合写真!
そういえば、公演中の写真が一枚もない。
ちょっとした動画が、一緒に出てくれたKーsk氏のブログに載ってます。
続・戦争への想像力
そして、高麗神社の翌々日には母校ICUのコリアンナイトで
一発たたいてきました。ファンスオンさんたち、ケグリのメンバーにも
お手伝いいただきました!感謝。


いっつも演奏中の写真がないのよねー。
見に来てくれた人に写真もらわねば。



これは昨日の代々木公園の「アンタルフェスティバル」終了後。
出番のあとはビールにインドカレーでジャズやアフリカンドラムの
ステージを楽しみ、最後には酔った勢いでジャムセッションに突入してしまった。
すごいたのしかったなあー。
お祭りが終わった後、シニア組は本拠地の国分寺へと向かい
(比較的)ジュニア組は公園に残って、外で飲みました。
夜中に公園で飲むなんて、もう2週間遅かったら無理!
岩手だったら今も無理。
やっぱり東京はあったかいんですなあ。
そしてそして、今度の15日(日)は川越の「唐人揃い」にケグリで出ます。
来週22日(日)は野川公園のくじらやまにて、「はらっぱまつり」。
とんで12月6日には府中公園でチマチョゴリ友の会略してチマトモの
フリーマーケットに呼んでいただいて出ます。焼き肉とまっこりが呼んでいる~~~!
去年はそういえばチマトモの前日がサタデーチャンゴフィーバーだったんだな。
大阪・名古屋・東京三都市合同プンムル、楽しかったなあ~。
またやりたい!!

2009年10月21日水曜日

谷中マジック

10月9日金曜
芸大と地元桜木~谷中とでつくるイベント
「ぐるぐるやーみーツァー」のスタッフの打ち合わせのために
谷中を歩いていると、向こうから知っているひとがやってきた。
一緒に民俗舞踊を練習している大先輩の鈴木さんだった。
鈴木さんはなんでそんなところを歩いていたかというと、
ご自身のおどりの公演である「ヤナカヤガイ」を数日前に
控えていたのでその関係と、谷中にあるギャラリー「韋駄天」で
韓国人陶芸家のご友人が個展をやることになってそのオープニング
パーティだとかいうわけであった。なんだか奇遇だ。
しかもそのご友人がやっているのは白磁だということで
ますます面白い。ヤナカヤガイも興味深い。


10日土曜 もと体育の日。
ぐるぐるやーみーツァー本番。
谷中を少しだけ味わうことが出来たような気がする。
とにかく寺が多い。日蓮宗のお坊さんの学校の横で
ライブペインティングをする人のお手伝いをした。
彼女は昼間はポータブルLPプレイヤーでビートルズをかけていたので
のりのりだった。夕方になるとお経がヒートアップしてきて、
ほとんどサムルノリのユクチェの最後の方みたいなかんじだった。
こんどこっそり聞きに行こうとおもう。あれはエクスタシーだ。


夕日が落ちた頃に、各持ち場でアートをやっていた人々がわらわら
ひとつのお寺に集まってきて、創作盆踊りをやった。
ジャズバンドが伴奏するせつない曲だった。
ついさっきまで一緒にライブペインティングをやって撤収していた
かすみちゃんが最後に盆踊りの歌を歌った。よかったなー。


11日日曜
前々日にばったり会った鈴木さんの公演を見に行った。
お寺の境内のお墓で踊った。
あれは完全にクッだった。公演とか演奏じゃなく、儀式だった。
同じ師匠に習っている民俗舞踊が(といっても鈴木さんは大先輩だけど)
どんなふうに彼の踊りに活かされているのだろうかと
楽しみにしていったら、期待を裏切らない面白さだった。
土臭く、人間くさく、そして最後には動物になってしまう。
よかったなー。
この夜のプンムルの練習はいつにも増してノリノリでやれた。


15日
学校の授業をさぼって、
鈴木さんのお友達チェ・ジェホさんの白磁の個展を見に行った。
ギャラリー「韋駄天」は、インサドンのお茶屋さんみたいな落ち着いた雰囲気で
ここでマッコリのんだら最高でしょうね、とジェホさんに行ったら
9日(わたしが鈴木さんにばったり会った日)にみんなでそこでキムチジョンを
作ってマッコリを飲んだそうだ。がーん。誘ってほしかった。
ジェホさんの作品は、なんとも素朴なかんじの温かい白磁だった。
白磁というとピカーッと骨のように冷たい、つるつるした物体というイメージが
強かったけど、ジェホさんのは土の匂いがする白磁だった。
土は、韓国の白磁をつくるものと日本の土とを混ぜてつくるそうだ。
それから木の屑を混ぜたりするらしい。
陶芸は詳しくないので、そういうことはよくあることなのかどうか知らないが、
日本の土と韓国の土を混ぜて作っているということ自体なんだか有りがたいように思えた。
部屋の隅には韓国式の木製家具の上に、白磁で出来た小さな人形が
たくさんならべてあった。なんともかわいらしい。みんな表情が違う。
その人形はお香立てになっていた。「一日一体つくるんです」とジェホさん。
人が人らしく生きられない時代に、一日一体、人形を作っていのちを吹き込む。
いつか何千体も作って並べて展示したいと言っていた。
顔がなんともひょうきんで気に入ったので一体譲っていただいた。
まだもったいなくてお香は立てていないけれど。

広島在住のジェホさんに、今日から韓国文化院というところで
クッの写真展があるのでぜひ見に行くと良いですよ、と宣伝したところ、
ジェホさんはとてもクッに興味があるとのこと。土をこねて、
その人形を一体ずつ作ることもクッと関係があるような気がしていると言っていた。
いつかほんとうに千体ならんだところを見てみたいな。
ジェホさんとまた会う約束をしてギャラリーを出た。

出て数10メートル歩いたところで、むこうからよく知ってるおじさんが
歩いてくる。高校3年のときの担任、社会科のT先生である。

・・・谷中は本当に奇妙な町だ。

T先生は古美術商に掛け軸を売りにきたらしい。
帰りに白磁と、暇があったら韓国文化院の写真展を
ぜひ見ていかれるようにとお勧めして別れる。

後で知ったのだが、この日の夜はじめてお会いすることになる
韓国民俗芸能の大家である慶応大学の野村先生は
谷中のご出身であった。なんと不思議な。

2009年10月15日木曜日

おとなの夏休みの終わり

大人って言ったってわたしまだまだこどもなんですけどね。


夏休みが終わりました。
明日、一週間でわたしが一番大切にしている授業が始まります。
その授業で出された夏休みの宿題が、
まあ、いわば「夏休み日記」なのです。

またの名を「フィールドノート」という。
そう、日記を提出するのです。
だけどその日記は、個人の感情をそのまんま表していて、やっちゃったなあという
失敗の経験、心痛い思い出、せつない恋心、みんなさらけ出すものなのです。
そんなものをそのまま提出できないので自分なりに再構成して出そうと思ったのに
夏休み中、結局整理が出来ずにいました。それを今日深夜12時に帰宅してから
チューハイ飲みながら書いています。間に合うわけないよね。


8月中お世話になったおうちの家族が、気に入って
よく飲んでいたアルコール度8%のストロングチューハイを飲みながら。
夏の終わりに買ったハナレグミのアルバムを聞きながら。


間にあうわけないんだけど、
いまとても充実している気分です。
やっぱり岩手で得たものが多すぎる。
心の痛みよりも何よりも、得た愛が多すぎる。
どうしてどうしてこれを自分のなかだけで終わらすことができようか。
やっぱりこんなことを教えてもらってきたんだよと、他の遠いところで
駆け回ってきたフィールドワーカーたちと分け合うべきなんだと思う・・・
そのためにも書きます。書ききれなくても一文字でも多く書こう!



つまみ=たこわさ、おばあちゃんが作った葉とうがらし煮物、

近所の知り合いの京土産の漬物。。

2009年10月14日水曜日

高麗神社シウォレマダンへのご招待

韓国留学から帰ってきてから早3回目の高麗神社
シウォレマダン(埼玉県民団の行事で「十月のまつり」の意味)公演が
あと2週間後にせまってきた。

参加1回目の2007年。
この年はすごく晴れてた。
まだ自分がナグネ・シナブロというチームに所属してる感が
あんまりなく、とにかくこの人たちがやってる方式に
くっついていくぞというかんじでチャンゴを無我夢中に叩く。
ナグネがやってる右道プンムルは、やたら難しい。
コチャンのほうが断然簡単だ。おいらはいまも、もうちょっと
体の動きを単純にしたらいいのに、と思ってるが、
まあおいおいそれは考え直していったら良いんだと思う。
韓国で自分がやってきた方式とはだいぶ違うなかで
チャンゴはうまく叩けた自信はないが、
日本でもこんなプンムルができるんだなあ、とこれからの
東京でのプンムル生活に期待を抱いていた。

昨年2008年は、1年間の練習、いやむしろ飲み会で得た
人間関係を最大限活かして、「つながり」を意識した公演だった。
ピルボン農楽を叩く「ウリト」の人たちも誘った。
長年プンムルをやっているナグネの人脈は広い。
そして当日サンスェ(農楽のリーダー)をやってくれる房先生の
魅力もあるのだろう。
気づけば40人を超す大規模なプンムルの輪が出来ていた。
この年は、ホームベースのナグネ・シナブロの方々とも
コチャンソゴチュムの練習などなどを通じてだいぶ
つながった感じだった。当日、房先生のサンスェのもと
やったソゴチュムは、こどもたちもまじえて、
かわいらし~(自分でいうのも変だな)イメージのソゴチュムになった。

11月もサタチャンで三都市大集合プンムルをやって、めちゃくちゃ楽しかった。
大阪(みのおチャンゴヨロガヂ)、名古屋(ノリパン、センメッチュ)、
東京(ナグネ、ウリト、その他いろいろ)が合体してやったプンムルは
なんとも、韓国のノリを思い出させる記憶に残るクッだった。
誰かが強力にリードしているわけでもないのに、誰もが入っていきたくなっちゃう
ようなプンムルだった。東京のひとたちだけであれができないものだろうか。
考えて見ればあの時はチャプセク(道化役)をやるんで昼からマッコリを浴びるように
飲んでいたら打ち上げのときにはすでにかなり出来上がっていて、池袋で終電を逃したんだった。
汚い格好のまま、汗だくの衣装を抱えて翌日は府中公園での公演だった。
もちろんその日も昼から焼肉で、マッコリ。。。
あの二日間は濃かったなあ。

で今年。

2009年高麗神社の個人的な目標。
去年のカワイラシーソゴチュムとはちと趣向を変えて、
もっと泥臭いものをやろうと思っています。
紙張子でお面を製作中です。
チャプセク(道化、踊り、雑用係)を研究するあたくしとしては、
自分でもやりながらこれを極めたいと思い
今年はなんとしてもチャンゴを叩かずにこれをやりたいと
皆の反対を押し切って(チャンゴ隊の人数が少ないので出来れば
やってほしいという空気を読まないで)
チャプセク「で」いい、ではなくチャプセク「が」いい、という希望で
やらせていただくことになりやんした。

やや使い古されている気がしてならないけれど、
韓国朝鮮の「恨(ハン)」という概念があり、
やっぱりそれを表現できるのは韓国の音楽であり舞踊でありクッである
のだなあと思うのであります。とくにタルチュム(仮面舞踊、演劇)は
面という別の人格を得ることによって、素面では語れない強い感情を
最大限発散できるのではないかと思うのです。
そのためには納得のいく面を作らねばならず、そして何を伝えたいのか
綿密に考える必要があるのです。
かわいくなくていい、きたなくていい、でも伝えたかったことが伝わる
ようにはしたい。

演じ手が、その想いを伝えたい相手というのはその場にきていなくてもよくて、
演じ手とその相手の関係が、見ている人の自己に投影されて、
ああ、自分にもそういうところがあるなあと共感してもらえるようにする・・・・
演劇とか舞踊とかってそういうものなのかなとおぼろげながら感じています。

とまあだんだんわけがわからなくなってきたところで
そろそろ学校にいかなきゃいけないのでやめます。

あいかわらずいろんなことに手を出しまくっているわたしですが、
秋は本格的に韓国朝鮮・農・舞・演じる・祈る・・・・という方向に集約して
いけたらなあと考えています。

今週末(木~土)は、済州島からシンバン(シャーマン)が
やってきます。韓国文化院で民俗写真家である故・金秀男の展覧会があり
そのオープニングにあわせて5人のシンバンによる
クッ(故人の霊魂を呼び、遊ばせ、そして安らかに眠れるよう送る儀式)が
行われます。オープニングパーティ~儀式~シンポジウムまで
三日間みっちり参加してこようと思ってます。
金秀男のぶあつ~い写真集「クッ」も持ってたりするぐらいファンなので
展覧会も楽しみ。やっぱクッを撮るなら白黒だよなあ~。
鼻息荒くなります。ふんふん。

2009年10月10日土曜日

ふっかつっ

イヤー参った。
パソコンが二台とも壊れ、
ついに家でインターネットが出来なくなってしまった。
それもあり、いろいろ思うところがあってブログを
いったん閉じていましたがやっぱり書きたいことがいろいろ
あるので復活しました。これは父のミニノートパソコンから。
キーボード打ちにくい・・・うっうっ

夏休みが、とうとう、とうとうとうとう終わろうとしています。
長すぎやねん。ほんま。ゲー大。
人生で一番長くて、パンチのきいた、でも伸び伸びした夏休みだったと思います。
でももういいやとも思っている。早く学校始まっちゃえ。

7月終わりに家を出て、早池峰に登ったり8月は盛岡の黒川で
さんさ踊りをずっと見させていただきながら居候でさんざんご迷惑をかけ;;
他では絶対に得られない貴重な日々をすごさせていただきました。

9月もあっという間に終わったけど、振り返ればいろいろあった。
まず東京帰ってすぐに芸祭。帰ってきていきなりだったけれど
キューバ・アフリカドラムサークル「おちゅん」に入って
一緒にヨルバ語で歌いまくり踊りまくり、ハバナクラブ(ラム酒)飲んで
突然暗いことを言い始めて友人を悲しませたり、しかしはちゃめちゃに楽しい芸祭でした。
おちゅんの仲間はこれからもいろいろ一緒にやっていけそうで
ほんとに楽しみ。すばらしい仲間ができました。

んで、その後はプンムル方面でも新しい仲間が出来て
楽しくやっております。そのツテで、ずっとやってみたかった
ちんどん太鼓までやらせていただくチャンスがあったりして・・・
やりたいこと・できることをシェアできる仲間が
いるっていうのは本当に幸せなことなんだなあ。

そして今日は、スペシャルな再会がありました。
去年2008年の春に結成したICU三線会。
最初同じ学年の三人ではじめたものが、
エゲレス留学・専門学校進学・プー(ME)など三人の
進路がわかれたことによりだんだんばらけていき、
途中から入ってきてとても熱心にやってくれてたひとつ下の
学年のすばらしき仲間も、今年の夏にとうとうアメリカに留学してしまい
あれあれ、どうなることやらと言っていたところ、イギリスに留学していた
オリジナルメンバーの友人が今日帰ってきたのでした!!
うーん、ひさびさに一緒に歌うとなんとも感慨深い。
三線会もこれでまた盛り上がってきそうです。

10月ももう10日過ぎてしまいました。

今月は本当に死ぬほどカルチャー満載で大変です。
「飲めや歌えや踊れや」が研究対象(ということになっている)だと
いろいろ誤解も受けます。
ただ遊んでいるだけなのではないか。とか。
結局パッパラパーではないか。とか。

・・・あ、誤解じゃないか。

でも、今年の夏いろいろ大切な気づきがありました。
それはやっぱり着地点を見定めなきゃならないんだということです。
歌って踊って騒いで、見つけたものがたくさんあるはずなのに
そこから見つけたものを取り出して書いたり表現したりすることを
しなければ、やはりただのパッパラパーに違いないのです。
だからブログ再開しました。

新学期こそ、この忙しい文化の秋だからこそ
自分の方向性を見定めながら飛び石を渡るように
軽やかなステップですごしていきたいと思います。

センチメンタルになっている暇などないのだ。。。

2009年8月14日金曜日

おぼんです

ども。まったりしすぎてもはやフィールドワークなんかでは全くなくなっています。
神楽のことを書く前にさんさの時期になってしまいました。
早池峰についての雑感はちょっと保留してあとで書くことにします。

現在、盛岡の黒川という地区に滞在中です。
黒川さんさ踊りをやっていらっしゃるK田さん宅に
長期でステイさせていただいています。感謝。
今日はお盆入りの迎え火ということで、K田さんちでもお墓参りをしました。
今日のわたしのミッションは仏花を切りそろえることとお供物のための料理。
天ぷらを1時間以上揚げ続けました。最後のかき揚げを揚げ終えた瞬間は、
得体の知れない達成感で満たされていました。笑

うちは父が民俗学者のわりには自分の家の行事はあまり重視していないので、
いままでこうやって先祖を迎えるために提灯を吊るしたり
お母さんがあくせくと料理を作ったりお花を買ってきたりしたことがないので
とても新鮮だった。家の敷地内にもお墓があるので、私もお参りしておきました。
ご先祖様も赤の他人がお盆にやってきて天ぷらを揚げているとは
思ってもみないだろう。。。。笑

明日は盛岡市内の鉈屋町という古い町屋敷の通りで
黒川さんさによる門づけ行事があります。
門づけというのは一軒一軒家を回って庭で踊りや歌などを披露して、
その家の繁栄を願ってあげるかわりにお金やお米などをもらうという行為のこと。
プンムルの「乞粒(コルリプ)」や「埋鬼(メグィ)」に通じるところが多くて
本当に面白い。

太鼓を体に縛り付けて踊る点や、輪踊りが基本である点。
さんさは構成が太鼓・笛・手踊り・道化となっていて、その人数や
順序が入念に会議して決められている点。
そして装束にも共通点が多い。
色とりどりの腰帯をひらひらさせること、花笠をかぶること、わらじをはくことなど。
音楽的に見ると、さんさとプンムルに直接的な関係は全くないのだが、
やはりおなじようにコメを食べ、農業をしているひとたちの芸能というのは極めて近い。
その息遣いや腰の落とし方、踊りに対する姿勢自体がやっぱり
その地に根付いたものであることを感じさせる。
場所も中身も全く違う芸能を比較することに意味はないと
思われるかもしれないが、これだけ近いと感じるこのふたつの踊りを見て
「同じだ!」とうれしくならずにはいられない。

この間の花火大会の公演のときに見たもの。
はじまるまえに親衛隊のお母さんたちや家族が
みんなの帯をしめなおしてあげたり、
太鼓のひもをぎゅっときつく引っ張ってあげていて、
あまりに見慣れたその光景に一瞬目を疑った。
踊り自体だけでなくて、こういう準備の瞬間もプンムルを
やる人にぜひ見せてあげたいなあと思う。

門づけ行事は最近復活されたものだけれど、
昔からのさんさの役割、文脈というものを一番よく意識した行事なので、
明日は本当に楽しみです。

2009年8月7日金曜日

遅すぎる第一回報告 早池峰の夏①

書こう書こうと思いながらなかなかブログがかけずにいたが
今日はステイ先の家族のみなさんが休肝日ということで早めに
おやすみになったので、一人で今日までのことを色々振り返ろうと思う。

7月29日 東京発(高速バス)
30日 盛岡着→石鳥谷→大迫→岳(和泉坊泊)
31日 早池峰登山→早池峰神社例大祭宵宮(神社泊)
8月1日 例大祭→花巻→花巻南温泉郷(大沢温泉自炊部泊)
2日 花巻→北上みちのく芸能まつり(鹿踊、パレード鑑賞)
→矢幅→黒川(黒川さんさの北田家泊)
3日 草刈りなど
4日 盛岡さんさ踊り 黒川さんさ密着鑑賞→北田家でお母さんの誕生パーティ
5日 草刈りなど
6日 写真整理など
7日 産直品だし、りんごジュースラベル製作、ももの収穫、りんごの出荷準備など



まんず、ハヤズネさんの話から・・・。

7月29日に東京駅からJR高速バスに乗って盛岡へ。
ゼミのレポートを出し損ねたことが気がかりになりながら出発。
代理提出Tちゃんありがとう・・・・

31日朝 盛岡着。
大通りのネットカフェに走りこんでレポートを書き、
しばらく駅で寝たあと電車で石鳥谷へ移動。石鳥谷から大迫までバス。
早池峰神社に向かうためだ。しかし、早池峰はガチで田舎であるため
車(もしくは車にのせてくださる方)が絶対的に必要である。
今回も非常にお世話になった地元の藤原さん(ワインぶどう農家さん)に
大迫のバス停から電話して迎えに来ていただく。
大迫にも賢治の記念館があるのでそこを見学して、
山岳博物館にも行った。ここの前館長、一ノ倉さんは藤原さんの高校の同級生で、
神楽に興味を持って、山も登りたくて来たと言ったら
とても丁寧に山や地形と神楽の関係などについて教えてくださった。
翌日、早池峰に登るのにあたってとても素晴らしい予習になった。

藤原さんに送っていただいて、早池峰神社のある岳部落に到着。
本当に山奥で、携帯の電波も届かない。
明日の登山の集合連絡どうすんだ・・・と思いながら、
ひとまず宿泊先の宿坊、和泉坊へ。笑顔のおばちゃんが迎えてくれる。
荷物を置いて、岳の部落を散歩。夕日がちょうど山の向こうに落ちて部落全体が
もうすぐ闇に包まれる、その直前の静かであったかい風景が広がっていた。
隣の家の縁側には鳥兜(神楽を舞うときのかぶり物)が干してあった。

夜行バス明けでそのまま歩きまわった体はやはり正直で、
夕飯を頂きながらほとんど半分瞼が下がってきて、
「睡魔に襲われる」っていうのはこれだなーと思いながらバッタリと倒れる。

しばらくして起きて、おばちゃんと天気の話などをしながらテレビを(ずうずうしくも)
一緒に見ていると、神楽衆であるおばちゃんの息子さん、まもるさんが帰られる。
神楽衆のかたに話を聞くことは、期待はしてたけど半ばあきらめていたので
本当にうれしかった。

ここ最近のアイスブレーキングにぴったりな話題はやはり、「花巻東」。
春の甲子園で準優勝という快挙をなしとげた花巻東高校が
夏もまた出場決定したので、だいたいなんでも花巻東の話が
出るとみんな黙ってないのでありがたく活用している笑
もちろん、私も応援しています。

高校野球の話でひとしきり盛り上がったあと、
岳の昔からの暮らしぶりの変化、神楽衆の現状、
大償神楽との確執、海外公演の話など飾らない言葉でいろいろ聞けて面白かった。
芸能勉強するって、何を学ぶの?という耳の痛い質問も受けたりして
考えさせられることも多かった。

部屋に入って一瞬で眠りにつき、朝は恥ずかしくもおばちゃんの
モーニングコールで目覚める。

8月1日

障子を開けて外を見れば、雨の心配などはどこかへふっとぶほど
超快晴であった。こりゃ最高の登山日和だ。
8時半すぎにほかのメンバーも岳に到着した。
今回の旅の大きな目的のひとつがハヤチネサンに登ることだったので
前日神社にお参りしておいたのだ。どーか、神楽を見る前に山に
登らせて下さい!と。願いはかなった。

9時40分に小田越に車で到着(また藤原さんに送ってもらう)。
小田越からの道は「オンナ道」、反対側の河原坊からの道は「オトコ道」
といわれて、幾分前者のほうが楽だということで、小田越から登って
同じ道を下るというコースをとることにした。
割とハイスピードで登って、途中苦しくなることも特になく11時チョイすぎに
は山頂に着。途中、
ハヤチネウスユキソウ(日本でここしか見られない和製エーデルワイス!)も
ちらほら見られたし、他にもたっくさんの高山植物がありました。
今度はもっと早い時期に来て花をいっぱい見たいものです。

それにしても、ガレ場(岩場)からの山並みがサイッコウだった。
ヤッホーとかヒャッホウとかウオーとかギャーとか、
叫びたくなるぐらい最高な気分だった。
青い山脈ってこれのことか!という。山は夏は青いんだ、本当に。

下山して小田越14時チョイ過ぎ着。早かった。

急いで神社へ向かい、神楽見物の準備・・・のはずが、
ワインを手に入れてしまったのでまんず一杯・・・・。
一杯のはずが二杯・・・二杯のはずが。。。というわけで
前座の弟子神楽はほとんど見れずに、ほろ酔いで岳神楽見物に
突入。岳は太鼓のリズムが本当に鋭い。
ストレートな体育会系である。

さて、、、本題の神楽に入ったところだが眠くなってきたのでまた明日。
明日は盛岡花火の祭典!にて黒川さんさが公演!(よりもメインはそのあとの
花火+ビールだったりして。楽しみです。)